【「原節子」の後半生】不動産売却益で長者番付75位に登場した9億円遺産の行方

芸能週刊新潮 2015年12月10日号掲載

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 日本映画界が生んだ最大のスターというだけあって、原節子はギャラの高さでも群を抜いていた。いきおい遺産の行方が注目されるが、そもそも、なぜ稼ぎの一切を捨てて“天の岩戸”に引きこもってしまったのか。

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 1951年。公務員の初任給が6500円にすぎなかったときに、原節子の出演料は映画1本当たり300万円を超えたという。いわば、映画に出るたびに宝くじに当たったかのような金額を手にしたわけで、

「そのたびに、都内の狛江や練馬、杉並などの土地を購入したそうです」

 と映画評論家の白井佳夫氏。片鱗が窺い知れたのは、原が芸能界から去って31年をへた1994年のこと。

「国税庁が発表した前年度の高額納税者75位に、原の本名、會田昌江の名が載りました。納税額は3億7800万円で、所得総額は13億円近かったはず。隠遁する前まで住んでいた東京都狛江市の800坪余りの土地を、電力中央研究所に売却したんです」

 古手の記者のそんな話を聞けば、気になるのは遺産の行方だ。相続に詳しい武内優宏弁護士に尋ねると、

「原さんが、たとえば亡くなるまで世話になった甥御さんにすべてを遺すと遺言していれば、その通りに執行され、兄姉に遺留分はありません。遺言がなければ、独身で亡くなった姉を除く5兄姉に5分の1ずつ、兄姉本人がすでに亡くなっていれば、その子供に5分の1が分割されます」

 だが、あらためて疑問なのは、なぜこれほどの実入りを一切投げ捨てて隠遁生活を選んだのか、である。

 原節子と3本の映画で共演した女優の岡田茉莉子さん(82)は、こう回想する。

「(56年公開の)『女囚と共に』のときだったか、原さんが目を悪くされて、“茉莉ちゃん、大変よ、朝起きて鏡を見たら、顔の半分が見えないのよ”と言うんです。昔は撮影のとき、ライトが強かったですから」

 実際、原は54年に白内障の手術を受けている。また、60年公開の『秋日和』の撮影のときには、

「“畳の上の芝居がしづらくなった”と言われたのを覚えています。小津さんの映画は、立ったり座ったりのシーンがとても多いので、辛くなられたのかな、と思いました」(同)

 それを裏づけるのは、小津安二郎の弟の妻ハマさんが以前、本誌にこう語ったことである。

「(95年の)小津の33回忌に、原節子さんのご自宅にもお品物を届けたら、ご本人からお礼の電話をいただいて、そのとき“最後に出た『忠臣蔵』の撮影のあとで足を痛めてしまい、立ち芝居ができなくなったので引退することにしたの”とおっしゃったのです」

女優に違和感

 また岡田さんは、53年公開の映画『白魚』の撮影中に実兄が事故死したことも、尾を引いたと見ている。

 片や目の問題については、甥の熊谷久昭さんも、

「引退理由のひとつは、目をやられて、ライトをもう浴びられなくなったこと」

 と語るが、もうひとつの理由をこう語るのだ。

「死ぬまで演技をしたいって気持ちが、そんなになかったんですよね」

 たしかに、目や足の故障だけでは、52年間も“天の岩戸”に隠れた謎は解けない。だが、久昭氏の語る「もうひとつの理由」はどうだろう。12年に100歳で亡くなった新藤兼人監督は、本誌にこう語っていた。

「原にとって生涯の監督だった小津監督が亡くなって、映画に出る意義が失われたのは大きいと思う。でも、猛獣が自らの死を悟って身を隠すようにスーッといなくなったのは、しわくちゃな原節子を見せたくなかったのだろう。足や目が悪くなってもごまかせるけど、顔はごまかせません」

 女優魂なのか。だが、元映画プロデューサーの堀江史朗氏をはじめ、原は、

「女優という職業に違和感を抱いていたようだ」

 と語った人は多い。堀川弘通監督もそのひとりで、

「俳優になりたい人は自己顕示欲が強いけど、節ちゃんは逆。人に見せることが嫌な性格で、常に自分を反省しながら生きていた」

 かつてこう話していたのだ。女優に向かないまま女優を続けていたのか。しかし、いったいどうして。

「特集 総力取材! 実の姉が告白! ロマンスの目撃者! フェイドアウトの真実! ヴェールを脱いだ『原節子』隠遁52年間の後半生」