尼崎事件・角田美代子がヤクザものを手なづけた手口とは “殺戮の女帝”暴力担当の供述調書120枚(2)

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 2012年10月に発覚した、死者8名・行方不明者5名の「尼崎事件」。同年暮れに自死した主謀者の角田(すみだ)美代子の“右腕”だった「マサ」こと李正則(41)に対し、神戸地裁は無期懲役を言い渡した。彼は、いかにして「暴力装置」となったのか。120枚にのぼる供述調書と自供書を見てみると――。

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「尼崎事件」の人物相関図

 在日韓国人の母のもと尼崎市に生まれ、覚せい剤事件で少年刑務所へ服役。地元暴力団との関わりも持った「マサ」が美代子と知り合ったのは、20代後半の頃だったという。

 美代子が、覚せい剤事件で服役中の正則の母親の面倒を見るよう正則夫妻に難癖をつけ、言い合いになった時の口上は、12年11月5日付の供述調書に綴られている。

〈「お前らただでおかんからの。お前どこの代紋やねん」「そんなん、へのカッパじゃ」と凄い剣幕で〉

〈「誰に電話して欲しいんや。古川か。うちが電話したら終わりやで」「後戻り出来へんで。ここらへんにおれると思うな。どうすんねや」と凄んできました。古川というのは、尼崎市内に事務所を構えている山口組系古川組の親分のことだとすぐにわかりました〉

■「無敵やんけ」と思って…

 ほどなく懐柔された正則は、美代子ファミリーと共同生活を送るようになり、

〈「あんたゴン太してたな。調べさせて貰ったで」と言い、本当にあった私の色々なことを知っていて、ヤクザの名前は出てくるし、頭の中で「これはヤバいな」って思いました〉

〈そうすると美代子は「ウチに来る限り、ウチが全責任を持つ」と言い、その言葉に私は「オーええがな」と美代子に頼もしさを感じてしまったのでした〉

〈ヤクザのてっぺん2人も知ってるし、無敵やんけ。と思ってしまったのです〉(すべて11月5日付)

 ここで言う「ヤクザのてっぺん2人」については、翌13年9月27日付の供述調書に、

〈美代子の口から「ウチには五代目の『ナベ』や『宅ちゃん』がついている」「ウチが呼んだらいつでも来てくれる」等と言われ、私は怖くなり美代子に逆らえなくなり、美代子の言うとおりに従って行くようになりました〉

 とあり、いずれも五代目山口組の渡辺芳則組長と宅見勝若頭(当時故人)を指していると思われる。

 ターゲットに用いてきたアメとムチの手法は身内にも徹底され、恐れをなした正則はファミリーの「暴力装置」に転じていく。

〈何かヤバいことをする時は、美代子は角田の家族の中でも、私だけを呼ぶことがほとんどです。私は背中に入れ墨を入れていますし、体格も大きく、美代子はいつも私のことを相手に、この子はヤクザやと紹介していました〉(12年11月5日付)

「特集 尼崎の大量殺害事件発覚から3年! 殺戮の女帝『角田美代子』暴力担当の供述調書120枚!」

週刊新潮 2015年11月19日号掲載

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