「人の肉体は最後にはこうなるのだ」 死の「裏方」を知る「葬送の仕事師」たち
「死後、筋肉が弛緩し、口がガバーと開き、目玉も出てきてしまいます」【壮絶な死の現場】
母は十年かけて少しずつ死んでいった。体中の機能が失われていき、やがて口を動かす機能が失われた。口が動かなければ食べられない。ある日、母のからだに直接栄養剤を送り込むための胃瘻の手術をし、その帰りがけに、中華料理屋で母のいない食卓を囲んだ。母が二度と食べることのなかった、あの餃子の味を、私は忘れることができないだろう。
あれは生きながら母を弔う通夜だった。母が少しずつ死に向かう間、私は突き動かされるようにして、濃厚に死の匂いのする現場に入り、『エンジェルフライト』で国際霊柩を、『紙つなげ!』で被災者の再生を描いた。死を間近に感じるのでなければ、弔いの現場など行こうとは思わぬものだ。
では、ノンフィクション作家の井上理津子さんは、何を思い『葬送の仕事師たち』の取材に入ったのだろう。彼女は、葬儀の専門学校、遺体の防腐処理をするエンバーマー、納棺師、湯灌師、火葬場の職員に真正面から取材し、生と死について、深く考えさせられる言葉を聞き出している。時に泣き笑いの混ざるインタビューは、大阪人のキャラクターゆえか。カラッとしてはいるが、決して冷たくはない。太刀筋はまっすぐで、このテーマにあって爽快ですらある。
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冒頭、彼女は専門学校の授業を見学している。「腐敗の進行について」教える授業は「穏やかで、軽快な語り口」なのだという。語られることと口調とのギャップに、読者も驚くに違いない。何しろ授業内容は、「時間の経過によって筋肉が弛緩していくと、口がガバーと開き、ガスが出始めると目玉も出てきてしまいます」といったことなのだから。しかし、それでも厳しい現場を志す若者たちがいる。
生易しい仕事ではない。遺体は時間とともに腐敗する。事故や事件に巻き込まれた遺体の中には、損傷の激しいものもある。解剖直後の遺体に、蛆の湧いた遺体、風呂釜の中で茹でられてしまった遺体もある。子どもの遺体を抱いたまま離さない親もいれば、従来の葬儀の枠にとらわれない別れを望む遺族もいる。さまざまな状態の遺体、さまざまな立場の遺族に遭遇するが、「仕事師」たちは、持っている技と誠実さで、一生に一度の別れを演出しようと奮闘する。
彼らの壮絶な仕事ぶりと高い職業意識を知るにつれ、根強かった差別感情は薄れ、親族が担っていた葬儀を代わって行う、感謝される仕事に変化しつつあることに気づくことだろう。そしてまた、遺体の防腐処理技術の進歩により、椅子に座った故人とお別れするといった、新しい葬儀が出現するかもしれないことに驚かされる。この点、本作は時代の移り変わりを映す風俗史ともなっている。
しかし、どれほど大変な仕事でも、彼らはあくまで黒子の存在だ。三歳児を亡くした家族の立ち直りを目にしたある葬儀社社員のこんな言葉が心にしみる。
「僕ら葬儀屋は『傘』やなと思うんです。亡くなった人のご家族の傘。深い悲しみに陥った家族がやがて一区切りついて日常に戻ると、傘なんか要らなくなる。電車の中に置き忘れられるくらいがちょうどいいんです」
火葬場の章は圧巻だ。私はてっきり、全自動オーブンのようにタイマーをかけておけば、誰でも簡単に骨になると思いこんでいた。だが、違うのだ。遺体を燃え盛る炎で焼き、骨にしていく職人技の描写に、最初は驚愕するが、やがて心の奥底から、「人の肉体は最後にはこうなるのだ」という乾いた諦めと、職員に対する静かな感謝の念が湧き上がってくる。
数か月前に母を焼いた。炉から出てきた遺骨の中に、真っ白くて小さな骨が四つ並んでいた。「これは歯ですね。このお年の方でここまできれいに残るのは珍しいんですよ」と、職員が説明してくれた。長い年月、食いしばったままの母の口を苦労してこじ開け、何十分もかけて磨き、父が執念で守った歯だった。あの遺骨は奇跡のように焼け残ったのではなかった。火葬場の職員の技でもあったのか。
自らの仕事について、決して語らなかった彼らの姿に改めて頭が下がる。きっと、仕事師たちは今日も炉の前で誰かの体が燃えていくのを見守っていることだろう。
第三者取材でここまで死の周辺を網羅している作品を私は知らない。取材の難しい現場にあって大変な労作である。
死の「裏方」を知る/佐々涼子
「波」2015年5月号 掲載(※この書評は単行本発売時に掲載された内容です)