名門ジムが「ボクシング界」期待の星を潰した! 17歳新人王を「創価学会」ノイローゼにした「協栄ジム」洗脳日誌

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 輝かしい実績を上げながら突如、引退に追い込まれたボクシング界のホープ。激しい攻防が呼び物のスポーツゆえ、常に選手生命の危機と隣り合わせなのは事実だ。しかし、“期待の星”を打ちのめしたのは対戦相手の拳ではなく、名門ジムの“創価学会”洗脳だった。

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 世界チャンピオンを夢見て上京した息子のアパートに足を踏み入れた時、父親は言葉を失ったという。まだ10代の少年だけに、室内が散らかり放題なのは予想通りだった。しかし、そこで父親は、思いもよらないモノを目にした。小型の冷蔵庫ほどの大きさの“仏壇”である。息子は口ごもったが、父親の追及に耐え切れず、ついにこう漏らした。

「しょうがなかったんだ。宗教に入らないと、ボクシングが出来なくなるかもしれないから……」

 具志堅用高や渡嘉敷勝男、亀田興毅、勇利アルバチャコフ――。国内最多となる12人もの世界チャンピオンが輩出した協栄ボクシングジムは、業界屈指の名門として知られる。そんな協栄ジムの“秘蔵っ子”として将来を嘱望されていたのが前川龍斗選手(19)だ。

 兄と2人の弟もボクサーで、“亀田三兄弟”に倣(なら)って“前川四兄弟”と呼ばれたこともあった。なかでも、次男である彼の実力は折り紙つきだ。持ち前のスピードと鋭いカウンターを武器にこれまで10戦10勝6KO。プロデビューした2013年には、弱冠17歳で東日本新人王に輝いている。

「協栄ジムは憧れの存在だったので、兄がジムに入門するのに合わせて僕も上京したんです」

 重い口を開いたのは、前川選手本人である。北海道札幌市の実家を離れ、協栄ジムの門を叩いた時、彼はまだ15歳だった。まもなく弟たちも合流し、練習に没頭する日々が始まった。

 そんな矢先、前川選手は“社長”から食事に誘われる。社長とは協栄ジムの金平桂一郎会長の妻のことで、グループ企業の代表取締役も務めている。

「弟と2人で社長の親戚の家に招かれました。僕が海外で試合に勝ったばかりだったので、最初のうちは社長も“よく頑張ったね!”と試合内容を褒めてくれていたんですが……」

 前川選手は、プロデビューに年齢制限がないタイで15歳からリングに上がり、結果を残していた。会長夫人が労いたくなるのも理解できる。ところが、

「そろそろ家に帰ろうと思っていたら、社長が“ちょっと見ててね”と言って、仏壇の前に正座したんです。そして、いきなりお経を唱え始めた。僕と弟はポカンとしながら眺めていました。しばらくしてお経が終わると、社長が“創価学会をやってみる気はないかな?”。当時は宗教に関する知識なんて全くなかったけど、“とりあえず僕だけ入ります”と答えました。入会といっても一時的なものだろうと考えていたんです」

 会長夫人はその場で入会届をテーブルの上に取り出し、前川選手にサインを求めたという。祝勝会は口実で、“折伏”が目的だったかのような手際の良さだ。

 当然ながら、10代半ばの前川少年が、会長夫人の頼みを無下に断れる筈もない。

 だが、軽い気持ちで入会届に署名した前川選手を待ち受けていたのは、怒濤の“洗脳”生活だった。

「食事会から1週間後に、社長が見知らぬおじさん達とアパートを訪ねてきました。そして、挨拶もそこそこに仏壇を運び込んだんです。社長は“これから毎日、南無妙法蓮華経を唱えてね。会長なんて1日に6時間も唱えるんだから”とか、“学会に入ってチャンピオンになったボクサーは沢山いる。ちゃんと拝んでいれば減量中でもお腹が減らないよ”と話していた。社長が連れて来たのは地区幹部の人たちで、月に2、3回は地域の集会所に顔を出すように言われました」

 加えて、試合が近づくと池田大作名誉会長に宛てた手紙も書かされたという。

「試合前には決意表明を、試合が終わると“池田先生や応援してくれた皆さんのおかげで勝利できました”というお礼状を学会の施設に持って行くんです」

 育ち盛りの前川選手は減量に人一倍、苦しんだ。試合前の大事な時期に、疲労と空腹で朦朧(もうろう)としながら手紙の文面を考え、持参することを強いられたのだ。

 日々の勤行(ごんぎょう)に集会への参加、試合前後の手紙。とてもボクシングに集中できる環境ではない。すでに他の兄弟はジムを離れていた。

■親権者の承諾が必要

 心身ともに限界に達した前川選手も昨夏、ついに札幌に戻ってしまう。

「龍斗はボクシングを続けたい一心で、親にも打ち明けずに我慢してきた。協栄ジムだから安心して大事な子供を預けたのに……」

 前川選手の父親が、苦しい胸の内を明かす。

「ジムから入信についての相談はありませんでした。龍斗の部屋で仏壇を見つけて初めて知りましたよ。会長夫人にも直談判したんですが、“無理に活動は勧めませんから”と言うのでそれ以上、追及できなかった」

 創価学会は〈入会希望者が未成年の場合は、親権者の承諾が必要〉(公式サイト)としている。会長夫人の行為は、学会の“ルール”に照らしても“反則”なのだ。

 夢を断ち切れない前川選手は、札幌から金平会長に連絡を取り、“宗教をやるために上京したんじゃありません”と初めて伝えた。

「会長が“わかった”と言ってくれたので東京に戻りましたが、状況は変わりませんでした。それ以降も地区幹部の人たちから学会の集会に誘われたし、“任用試験を受けなさい”とも言われました。それで、試合前なのに『大百蓮華(だいびゃくれんげ)』を読んで勉強したんです」

 任用試験とは、学会の教義をより深く学ばせるための試験制度だ。学会の歴史はもちろん、対立する日蓮正宗の僧を“法師の皮を著(き)たる畜生”と罵る内容も出題範囲に含まれる。

「最後は精神的に参ってジムの練習にも行けなくなり、部屋に閉じこもるようになりました。そんな時にも、地区幹部の人が呼び鈴を押しに来るので、布団を頭から被って耐えていた」

 ノイローゼ状態に陥った前川選手は、今年2月に引退届を提出した。この件について金平会長に尋ねると、

「私どもは15歳の時に親元を離れて上京した前川龍斗さんを日常生活を含め、我が子同然に面倒をみてきました。この度、協栄ジムと前川さんとの契約は円満に終了しましたが、今後も困った事があれば、連絡をもらう事になっています」

 と書面で回答。しかし、創価学会に関する質問にはノーコメントとしている。

 名門ジムは信心と引き換えに、ボクシング界から“期待の星”を奪ったのである。

週刊新潮 2015年4月9日号掲載

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