命のまもりびと―秋田の自殺を半減させた男―

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NHK「プロフェッショナル」で紹介。彼の言葉は絶望の淵に灯りをともす

(※本書評は単行本『あなたを自殺させない』刊行当時のものになります)

自死から再生した人々の言葉/柳田邦男

 やはり現場って凄い、現場で生まれる言葉って凄いな、と思う。

 私は取材者として、人間の「生と死」の問題を考えるには、現場を訪ね、現場に立ち、現場で耳を傾けることが原点であり、最も大切なことだと考えている。

「生と死」の現場は、多様だ。病気、事故、災害、公害、凶悪事件、戦争など、人のいのちを危機に陥れる現場は、世界に満ち満ちている。そういう様々な現場で、死に直面した人々や愛する人を失った人々の手記は、数多く書かれ、それぞれの現場から生まれた貴重な言葉の数々が記録されてきた。

 しかし、空白域があった。それは、自死の現場だ。

 日本人の自殺率は、世界の国々の中で高い位置にある。特に一九九八年に、年間自殺者数が突然前年より数千人増えて三万人台になって以降は、異常に高かった。今は二万人台に戻ったとはいえ、少ないとはとても言えない。これは事件と言うべきだろう。(私は自殺という言葉を使いたくない。一人ひとりの人生の苦難、「生と死」の文脈が、法的な用語では排除されてしまうからだ。個を大事にした自死という用語を使いたいが、社会的な用語として使われているものを引用・紹介する場合には、やむをえず自殺という用語を使うことにする。)

 自死の現場における、「生と死」の真実を映す言葉には、他の事件のそれらとは違うトーンや重みがあるはずだ。その現場に真正面から向き合ったルポルタージュ作品が書かれた。中村智志氏の『命のまもりびと―秋田の自殺を半減させた男―』だ。中村氏は週刊誌記者として、かつて段ボールハウスで暮らす人々の中にもぐりこんで、彼らの人間像をあたたかい目線で描き出した『段ボールハウスで見る夢』を著している。現場に密着して、リアリティ豊かに現実を浮き彫りにするという手法は、今回の作品にも貫かれている。主な現場は、一九九〇年代からずっと自殺率が日本一高い秋田県だ。後半では津波被災地も登場する。

 主人公役に据えたのは、自殺を防ぐための相談窓口として立ち上げたNPO法人「蜘蛛の糸」代表の佐藤久男氏。佐藤氏自身、自分が経営していた年商十億円を超えるほどの不動産会社がバブル経済崩壊後の長期不況のあおりを受けて倒産、多額の負債をかかえて家・財産を失い、うつ病になり、自殺をはかろうとするところまで追いつめられた人物だ。しかも、身近なところで、倒産中小企業の経営者たちが、相次いで自殺していった。企業はそれぞれ地域の雇用や流通に貢献してきたのに、倒産したからといって、経営者の人間存在まで否定されるのは理不尽ではないか。中小企業の経営者の自殺を防ぎ、遺族が一層の苦難を背負わないですむように、自らの経験を生かそうと、相談窓口を開いたのだ。

 その相談の姿勢は、「上から相談者を引っ張り上げるのではなく、目線を低くして下からふわりと支えるハンモックのような役割り」を果たすことだった。専門のカウンセリングと違って、二時間でも三時間でも耳を傾ける。その継続の中から、死ぬことしか考えていなかった相談者の話の中に、ポッと死以外のことへの小さな光と言うべき話題が出たりする。佐藤氏はその瞬間を待って、ひたすら傾聴に徹する。こうして相談者の心に新しい気づきが生まれ、それが人生観、価値観の転換へと発展することによって、「生きなおす」歩みが始まるのだ。

 佐藤氏自身や「生きなおす」ことのできた人々の語録は、実にユニークで豊かだ。その一端を示そう。

「軽蔑されたら、その通りですと言おう」「小さな解決しやすい問題から」「点で深くやれば、必ず線になる。線で深くやれば、必ず面になる」「(支える行為は)いちばん大変なところに自分たちの体を置くと見えてくるものがある」「死なない契約」「ゆっくり、きっちり、じっくり」「希望への第一歩」「復活する人間の強さ」……。

 すべて仏僧の説教に出てくるようなトーンの言葉だが、それら一つ一つが死のクレバスの淵で、ドラマティックな文脈で登場するので、極めてクリエイティブな響きで伝わってくる。佐藤氏が「生きなおす」決意をした時に整理した「失ったもの」と「残ったもの」の対照表がある。「家族の愛、深い友情、自分、時間、ヒマ」など普遍性の高いものが残っていることの気づきだ。経済的破綻は何とすばらしい気づきをもたらすことか。「ガス、水道を止めてくれてありがとう。お陰で私は頑張れる」という“生還者”の言葉は強烈だ。

[評者]柳田邦男(やなぎだ・くにお 作家)

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