1カ月の公演チケットが2日で完売、本番では緊張で「出るのはイヤ」…56歳で急逝した「越路吹雪さん」の“スーパースター人生”

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衰えぬカリスマ的魅力

 宝塚男役トップとして人気を博し、退団後は主に舞台女優・歌手として活躍した越路吹雪さん。「ミュージックフェア」(フジテレビ系)と「紅白歌合戦」(NHK)以外のテレビ番組にはほぼ出演しなかったが、日生劇場でのリサイタル公演が毎年完売、政財界や文壇にも多くのファンがいた事実は、そのカリスマ的な魅力を裏付けている。

 そんな越路さんの早すぎる死は1980年11月7日に訪れた。享年56。が、その後も現在まで、彼女がモチーフとなった舞台などで存在を知り、魅了される若い世代は後を絶たない。いまだ多くの人を揺さぶるその魅力と生涯を、「週刊新潮」の人気連載「墓碑銘」で振り返る。

(「週刊新潮」1980年11月20日号「墓碑銘」を再編集しました。文中の肩書き等は掲載当時のものです)

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政界の大物、文壇の重鎮も

 毎年、春と秋の2回、東京・日生劇場で開催される「越路吹雪ロングリサイタル」は、とにかくその切符が手に入れにくいことで有名だった。

 前売りの前日には日生劇場前に行列ができ、劇場の向かいにある帝国ホテルは、この時期になると、地方から泊まりがけで切符を買い求めにくるファンで埋まるといわれたほど……。1カ月にわたる公演の切符は、6500円の最上席から先に、いつでも2日間ですべて売り切れてしまうのである。

 美空ひばりでも、大舞台での公演の客集めには四苦八苦といわれているご時世に、こんな“奇跡”をほしいままにしたスーパースター・越路吹雪(本名・内藤美保子さん)が、胃ガンのため、1980(昭和55)年11月7日午後、56歳でその生涯の幕を閉じた。

 ロングリサイタルの客席には中高年の女性ファンが目立っていたが、彼女のファンはそればかりではなく、元首相の佐藤栄作氏、自民党幹事長の櫻内義雄氏ら政界の大物から、小林秀雄氏、今日出海氏ら文壇の重鎮、さらには歌舞伎の坂東玉三郎まで、実に幅広かった。

宝塚を飛び出して東宝専属へ

 東京・麹町でサラリーマンの次女に生まれた彼女がこの世界に進んだキッカケは、「小さいころから歌が好きで勉強が大嫌い」だったのを見かねた父親に、宝塚音楽歌劇学校への入学をすすめられたことだったという。

 1939(昭和14)年、15歳で宝塚の初舞台を踏んだが、彼女自身の回想によれば、同期の乙羽信子や月丘夢路などの“優等生組”に比べ、「遊ぶことばっかりに専念してた」のだそうだ。

 そんな彼女が頭角を現したのは、戦後、宝塚が再開されてからのこと。上背のある華麗な容姿に歌のうまさが加わった男役として、トップスターになった。ところが宝塚の「ぬるま湯的なところ」にイヤ気がさして、1951(昭和26)年、帝劇オペラ「モルガンお雪」などに出演した後、宝塚を飛び出して東宝専属へ――。

 映画やミュージカルに引っぱりだこの売れっ子となったが、このころはまだ、“恋多き女”として、その艶聞もかなり華やかだったようである。

 もっとも、それも1959(昭和34)年、元・東京キューバンボーイズのピアニストだった作曲家の内藤法美(つねみ)氏との結婚で終止符を打たれた。6つ年下の内藤氏とは、彼女の歌う曲の編曲を頼んだことがキッカケで、7年越しの交際の末に結ばれたのだが、もっぱら彼女の方がゾッコンだったらしい。

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