「カニを食べるためだけにプライベートジェットで…」 GMO熊谷代表の「金満生活」 親しくなった女性たちには「カルティエのブレスレットをプレゼント」
【前後編の後編/前編からの続き】
GMOの熊谷正寿代表(63)はダイヤルQ2事業から身を起こし、企業買収によって規模を拡大した。150社を超えるグループの時価総額は1兆円以上。だが、飽くなき拡大路線が裏目に出て足をすくわれた。会見で涙も見せたワンマン経営者。その「真の顔」に迫る。
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【写真を見る】「まるで映画の世界」 クルーザーを横付けできるGMOの迎賓館 100億円超えのプライベートジェットも
前編では、熊谷代表が操縦するヘリの騒音や、彼がGMOの「迎賓館」で開催するパーティーに悩まされているという近隣住民の切実な声を紹介した。
熊谷代表は、1963年、長野県の生まれ。父親は東京都内で映画館などを所有、経営していた。
「熊谷氏には兄と弟がいますが、兄弟仲は良くない。熊谷氏とは異母兄弟という話で、父親の死後、遺産を巡って裁判沙汰になったと月刊誌が報じたこともあります」(GMOの関係者)
熊谷氏本人は渋谷区の私立國學院高校に「トップの成績で合格し、入学式では新入生総代を務めた」とインタビューなどで幾度も語っているが、
「熊谷くんが成績優秀だった印象はないです」
と、同級生は回想する。
「やんちゃなタイプの友人5~6人とつるんで、彼はリーダー格でした。先生に注意されても口答えしていた。高1の頃から彼女もつくっていましたね」(同)
事件が起きたのは高2の1学期だった。
「彼が制服の胸ポケットに隠していたたばこを先生が見つけ、大騒ぎになりました。結局、それがきっかけだったのか、ほどなく高校を辞めてしまいました」(同)
高校中退後、ディスコのDJなどのバイト生活を経て父親の会社に入る。20歳で結婚。翌年、娘が生まれた。熊谷氏は自著『一冊の手帳で夢は必ずかなう』でこう振り返っている。
〈当時二十一歳だった私は、自分なりに日々頑張っているつもりなのに、何かカラ回りしているような不安と毎日戦い続けていました。高校を中退して、十七歳から父親の仕事を手伝っていた私は、すでに結婚して、娘にも恵まれていました。しかし、朝から晩まで仕事に忙殺されている割にはお金も貯まらず、苦しい生活が続いていました。(中略)ただ浪費されていく人生に焦りを覚えていました〉
焦燥感に駆り立てられ、胸に誓ったのが〈三十五歳までに会社を上場させる〉〈どの分野でもかまわない、必ず、ナンバーワンになる〉ということだった。
料金が高額に過ぎるとして社会問題化
そして91年に最初に立ち上げたのが、ダイヤルQ2を活用した音声情報サービス事業「ボイスメディア」である。
GMOの元役員が言う。
「彼は20歳の頃、家業を手伝いながら社会人向けの起業サークルに出入りしていました。ダイヤルQ2を始めると聞き、“いいところに目をつけたな”と感心したのを覚えています」
もっとも、ダイヤルQ2は後に料金が高額に過ぎるとして社会問題化した。
熊谷氏は前掲の自著で、〈この事業については、数年後に「撤退」という大きな決断をしました〉〈夢の達成を阻むリスクが大きければ、朝令暮改もやむをえません〉と記している。
次に飛びついたのがインターネットである。GMOの前身「インターキュー」を設立したのは95年。ちょうどマイクロソフトが「ウィンドウズ95」を発売し、いよいよネットが一般に普及するタイミングだった。
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