かつて大人気だった「お台場」が衰退、隣の「有明」は大盛況…同じ臨海副都心で明暗が分かれた理由
バブル崩壊で構想見直し
こうして現在だけを比べると、「お台場は衰退し、有明は発展している」という構図にも見える。だが、そもそも両者は同じような街を目指して開発されたわけではなかった。
現在の臨海副都心のまちづくりが具体化した端緒は、昭和末期の1980年代後半にさかのぼる。東京都は「臨海部副都心開発基本構想」(1987年6月)、「臨海部副都心開発基本計画」(1988年3月)、「臨海副都心開発事業化計画」(1989年4月)と計画を固めていった。
そして、バブル真っただ中のこの時期に策定されたプランでは、東京テレポート周辺は「業務系施設用地」として、要はオフィス街にする計画だったのである。東京テレポートの名称自体も、「情報通信(つまり、tele)の一大集積地(port)」のコンセプトで生まれた造語なのだ。
さらに細かく見ると、現在のりんかい線の南側、ゆりかもめの台場駅から青海駅あたりにかけてのエリアは、情報通信業を軸とした業務エリアとされ、商業施設を集積させる「シーサイド商業ゾーン」は、お台場海浜公園周辺に設定されていた。ゆりかもめに「テレコムセンター」を名乗る駅があるのも、その名残だ。1997年に移転してきたフジテレビをはじめ、情報通信企業が集まる最先端のビジネス拠点という夢物語が描かれていたのである。
ところが、バブル崩壊でこの構想は大きく見直されることになる。広大な土地を一気にオフィス街に変えていくはずだった計画は縮小され、かの都市博も中止された。
ただ、そんな経済情勢を抜きにして“ガワ”だけを見れば、お台場はキラキラと輝いて見えた。1993年にレインボーブリッジが開通、96年にホテル日航東京(現:ヒルトン東京お台場)とデックス東京ビーチが開業、そして97年のフジテレビ移転で「東京の新しい遊び場」のイメージがすっかり定着した。
問題は、その街を日常的に支える人口がそれほど多くなかった上、増える余地がなかったことにある。
台場エリアの居住人口は1990年代末で3000人台、2006年に5000人を超えたが以後20年間ほぼ横ばいで、2025年末時点で約5500人にとどまっている。バブル崩壊の余波で企業の進出も進まなかったため、台場南エリアは空き地が目立ってしまう。そこを埋めてきたのが観光スポットと橋や鉄道を使ってお台場に来てくれる観光客だったのだが、それらがなくなって「オワコン感」が目立つ、という構図になりつつあるのだ。
では、有明はどうだったか。
1990年代は東京ビッグサイトと有明コロシアムくらいしか目立つハコモノはなかった同地の人口が、急増し始めるのが2010年代。りんかい線より北の有明北地区の人口は00年代前半に1000人未満だったのが2011年に6000人を突破して、台場地区の人口を抜く。2020年に人口1万人を突破して2025年時点で1万3000人が住まう街になった。有明ガーデンの開発主体になった住友不動産ほか、民間デベロッパーがノウハウを投入して急ピッチで造られてきたエリアである
バブル崩壊後に見直された東京都の「臨海副都心まちづくり推進計画」においても、有明北地区はウォーターフロントの新しい住宅街区として想定されていた。居住人口こそ当初想定の2万8000人には及ばないが、30年越しで青写真が実現しつつあるのが現状だ。
エリア復活の課題は
有明は陸側へ橋を渡っても豊洲・晴海・勝どきと、住宅があり人の動きがあるエリアとつながっているのも、にぎわいに貢献している。お台場は長いレインボーブリッジを渡っても最初に着くエリアが倉庫や物流施設の多い芝浦で、他の生活圏と半ば隔絶しているところも明暗を分けたかもしれない。
だからといって、市場原理に任せ、お台場が衰えるならそのままでいいという話ではない。もしこのエリアの復活を狙うのなら、観光地のブランドにこだわるだけでなく、有明や豊洲との回遊性を高めるべきではないか。
実際、東京都が今年改定した臨海部地域公共交通計画でも、BRTを軸とした交通ネットワークや、乗り継ぎの利便性、臨海部を回遊しやすい移動環境がテーマの一つになっている。
バスは両エリアを通る都バス海01系統(門前仲町駅~豊洲駅~有明一丁目~フジテレビ前~東京テレポート駅)があるものの、定時性に強みのある鉄道はというと、りんかい線もゆりかもめもいずれも高額運賃なのが弱点だ。
特にゆりかもめは駅間距離が短く、本数も多い強みがあるのに迂回するようなルートをたどるせいで余計に割高感がある。初乗り189円はまだしも、251円、325円、388円と区間ごとの跳ね上がりも大きい。同じ都市型3セクながら値下げが実現した北総鉄道や、公営の神戸市営地下鉄(北神急行線を統合したことで運賃を通し化)の前例があるので、運賃改定も検討すべきではないだろうか。
台場・青海地区には昨年オープンしたTOYOTA ARENA TOKYOほか、再開発の胎動もある。先に成長した「遊ぶ街」台場と、後から成長した「住まう街」有明をどうつなぎ直すか。そこに、臨海副都心の次の時代を作るヒントがある。
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