岸和田だんじり祭り世話人が明かす地元民の感覚「命を落とすことは格闘技と同じで自己責任」「私が屋根に乗る役で死んだら親はお詫び行脚すると思う」

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本人も死ぬリスクがあることは受け入れている

 前提にあるのが、だんじりの屋根の上に乗る「大工方」などの重要な役割を担う者は、名乗り出た時点で「リスクを受け入れている」という考え方だ。

「親や嫁の猛反対にあうことも多い。同意書を書いたりはしないですが、当然、本人も命を落とすリスクがあることは受け入れています。だから本番で事故が起きないようちゃんと練習するんです。数カ月前からアスリートのように走り込みや筋トレを続けて、体幹を鍛え上げる。格闘技選手と同じように、死んでも自己責任だという覚悟を持って挑みます」

 自分の事故で町の皆が楽しみにしている祭りを中止にするわけにはいかない、というプレッシャーも折り込み済みだという。

「事故を起こした家が周囲に申し訳なさそうにしなければならないと言う話も出回っていますが、こういう感覚はぶっちゃけあります。江戸時代から続いてきた風習で、自らの意思で花形の役割を引き受けたわけです。うちも代々だんじりに参加してきた古い家系ですが、もし、私が大工方を引き受けて死んだら、親は『申し訳ありません』と方々に謝罪して回ると思います。実際、事故映像を見ると、亡くなった人には申し訳ないんですが、練習や経験が足りていなかったのではないかと感じてしまう。そのタイミングで飛んだりそんな体勢では落ちるだろ、そんなところにぶら下がっていたら挟まれるのは仕方ないだろうって思うことは多々ありますよ」

「やりまわし」がなければ、だんじりじゃない

 他地域に住む人からすれば理解し難い厳しい感覚だが、これが岸和田の現実だというのである。

「だから、いくら日本中から野蛮な祭りだと非難されても、取りやめようとする議論が本格化することはないと思います。1年で10人くらい亡くなれば話は別ですが、いまくらいの状況では何も変わらない」

 犠牲者を減らすのは簡単である。ほとんどの事故が「やりまわし」と呼ばれる、道の角をスピードを出しながら曲がる場面で起きている。やりまわしをやめれば死傷事故は激減するはずだ。

 でも、それを地元民は絶対に受け入れないという。

「やりまわしがなければ、だんじりじゃないと考える人が多いからです。数百人が呼吸を合わせて、綺麗なターンを見せる。それが早いと勇ましいと高く評価されるのです。他地域からはなぜそんな意味のわからないことに命をかけるのかと思うかもしれませんが、そこにこだわって地域で300年以上も受け継いできた伝統なのです」

 前編【「脳みそが飛び出た遺体を見たことも」「NHKの集金のようにしつこい寄付」「だんじりベイビーも」岸和田市民が語る“だんじりに支配された町”の異様な実態】では、Aさんが子供の頃から目撃してきた「だんじりの生々しい事故現場」や半ば「税金化している寄付の実態」などについて証言している。

デイリー新潮編集部

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