授業参観には毎回参加「ヤンチャな同級生を叱っていた」 デビュー45周年「山川豊」(68)の知られざる実像を、長男が語る 30年連れ添った妻と「コロナ離婚」した原因とは
怒られたことは1回だけ
三重県鳥羽市の出身である山川は、歌手を目指して19歳で上京するも、オーディションに落選する日々が続いた。レコード会社の社員として働く傍ら、歌のレッスンに励んだ。そして1981年、22歳の時に『函館本線』でデビューを果たす。しかし、それがゴールではない。売れるため、地方営業やキャバレー回りと昼夜なく働いた。
「父に小さいころからよく言われていたのは“自分がやると決めたことは、努力をしなさい。そして、その努力は人に見せるんじゃない”と。きっと本人が誰よりも陰ながら努力をしてきたんだろうと思います。歌の練習をし、歌詞を覚え、ステージをこなす忙しい日々を送りながらも、僕たち家族にはごく普通に接してくれていましたから」
そうした苦労が実り、デビューした年末、「日本レコード大賞」や「日本歌謡大賞」の新人賞を受賞。86年にはNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、計11回も出場している。
「でも、“努力しろ”以外は口うるさく言われたことはありません。また、父は強面で厳しそうなイメージがあると思うのですが、怒られたことは1回だけなんです。小さいときに姉とケンカして、二人して叱られたぐらいで。僕にとって、優しくて尊敬できる、自慢の父でした」
「じゃあ僕が一緒にやるよ」
隼也さんは今、そんな父親のマネージャーを務めている。どのような経緯があったのか。
「父はデビューから在籍した所属事務所を2020年に退社し、独立しました。社長になりたいという思いがあったようです。歌手の育成なども手掛けてみたい、とも。しかし、会社を立ち上げるノウハウもなければ、人材も見つからない。コロナ禍なのも相まって、なかなかうまく進まなかったようで。見かねて、“じゃあ僕が一緒にやるよ”と言いました」
意外な言葉に、山川は嬉しそうな表情を浮かべたという。ただ、隼也さんは大学を卒業し、かねてよりの夢だった海外に拠点を置く生活の準備を進めつつあった。
「コロナの影響で、海外渡航の見通しがなかなか立たないこともありましたが、悩む父の姿を見て助けてあげたいって思ったんです」
ワンルームマンションで一人暮らし
こうして親子の二人三脚がスタートしたのだ。だが、家庭に異変が起きる。
「コロナ禍で仕事がキャンセルになり、父が自宅で過ごす時間が増える中で、母との間に少しずつすれ違いが生まれるようになったんです。そしてある日、両親から“お父さんとお母さんは離婚するから”と伝えられました。当時よく耳にしたコロナ離婚が、まさに我が家で起きたのです」
山川は1992年に12歳年下の一般女性と結婚。一男一女を授かり、幸せな家庭を築いたはずだった。しかし、2022年8月、30年連れ添った夫婦は別々の道を歩むことに。自宅の一軒家は妻に財産分与し、山川は都内のワンルームマンションで一人暮らしだ。
【後編】では、ステージ4の肺がんが見つかった後の、山川の人生について詳述する。昨年見つかった山川の「新たな夢」とは――。
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