アジア大会で話題沸騰の「ぷよぷよ」が“eスポーツ種目”に採用された必然…開発元のOBが明かす「95年開催の“ぷよマスターズ大会”には1万人が集まりましたからね」
コンテンツは素晴らしいし、愛社精神は健在
――コンパイルの倒産劇はゲーム業界に大きな衝撃を与えました。ゆんまさんが、コンパイルを離れることになったのはいつですか。
ゆんま:98年の5月か6月には広島を離れたと思います。あまりにも転身の効きづらいキャリアだったため、すべてのゲーム企画ノートを住んでいたマンションで破り捨てて、ゲーム業界から完全に足を洗いました。
――とても悲しいエピソードですが、ゆんまさんのXのアイコンは、コンパイル時代の「ぷよぷよ」のキャラクターデザイナーである壱さんが描いています。コンパイルに対する愛は、今なお溢れているように思います。
ゆんま:正直、社長の放蕩経営には煮え湯を飲まされたと思っていますが、会社の雰囲気やゲーム自体に悪いところはありませんでしたから、退社後も学生の頃からの愛情は変わらず残り続けていました。2004年に破産して以降、それまでにあったユーザー間の交流も散り散りとなりかけ、好きだったものが消失する危機感を覚えました。
そこで、完全にゲーム業界から足を洗って自由が効く立ち位置を活かし、同人誌即売会のスタッフを行ったり、個人で200人規模となる交流会や、「コンパイルナイトSUN」という同窓会のようなイベントを実施しました。コンパイルという会社の存在を継承していく取り組みを続けましたね。
――元社員が自発的に動くというのは、素晴らしいことですね。
ゆんま:ゲーム業界では年月とともに、愛されたはずのIPコンテンツが自然消滅していくのが見受けられました。コンパイルの作品もそうなってはいけないと、とにかく残していきたい思いで一杯でしたからね。
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