バスタブを“レミーマルタン”でいっぱいに…「猪木」「前田」「高田」酒豪ぞろいのプロレス界…海外遠征で「機内のビールを飲み干した」怪物レスラーといえば
包丁を投げつけた!?
「力さん……。酒が憎いよ……」
有名喜劇役者の伴淳三郎が言った。目の前には、霊柩車があった。1963年12月20日のことである。この日は力道山の本葬で、伴淳三郎が弔辞を読んだのである。ご存じのように、力道山は赤坂のクラブでほろ酔い中、暴漢といざこざの末、腹部に負った刺傷が原因で死亡している。実は力道山には、「下戸である」という噂もあった。プロレスラーとしての威勢を保つため、無理に酒を飲み続けていたという証言が幾つか出てきている。
「酒豪伝説」ゆえ、力道山のような悲哀とは無縁だが、お次はプロレスラーによる、酒の失敗談を挙げたい。
1998年、前田日明がシングルモルトを礼讃するようになった。はまってしまい、研究熱心な前田らしく、ティスティング・ノートを作ってそれぞれの特徴を綴っていたという。
「最高の酒?(※98年時点)『バルヴェニー』の50年ものだね(※3)。凄く高い金払って一口飲んだら、全然、味がしないの。あれ、勿体ないことしたなあと思って、違う酒いくつか飲んで。それで2口目を飲んだら、味が全然違うのよ。芳醇でフルーティーで。他の酒を経て、違いがわかるの」
他に葉巻もたしなみ、日本刀も愛好する前田。洒脱な大人の代表格のようだが、若手時代の酒乱ぶりは、新日本プロレスでも随一だったようだ。寮の自部屋で目が覚めると、両手両足を縛られていることも多かったという。前日の泥酔の記憶がないわけで、そこで先輩レスラーからよく諭された。
「お前は包丁を何本も投げつけたんだ! しかも、全裸でだぞ!」
本当は服は着ていたのだが……。それも含め、イタズラ好きだらけの昭和の新日本道場らしいエピソードだ。前田の弟分だった高田の酒狂ぶりもなかなかのもので、飲み友達の元関脇寺尾とは殴り合いを演じ、元プロボクサーの赤井英和とは、カラオケの曲のチョイスを巡り乱闘したのが知られるところ。BOXのガラス張りの壁をぶち破る取っ組み合いになったが、翌日になると本人たちはケロリとしていた。全く記憶がないのである。
大変なのは、この酒席に出席するUWFインターナショナル(※1990年代、高田が率いた団体)の若手たちで、夕方、道場の電話が鳴ると、互いに譲り合い、いざ受話器の向こうの高田から、「今、六本木にいるから飲みに来い」と言われると、先ず、皆でチーズを食した、胃の中に膜を貼り、少しでもこれから来る酔いを防ぐためだ。残念ながらほとんど効果はなく、“酒豪”高田に潰される毎日だったとか。
そして天龍だ。その左党ぶりは『天龍源一郎 酒羅の如く』(白夜書房)という劇画にもなっているほどで、謂われも枚挙に暇がない。一晩で数十万円使うのは序の口。店にいた全ての客の勘定を持ったという事実も、ファンには知られるところ。
全日本プロレス時代、所持金が足りず、若手に命じてジャイアント馬場に「お米(※角界の隠語でお金)」を何度も借りに行かせたこともある。馬場もさるもので、一度キロの米袋を若手に持たせて帰らせた。強烈なシャレだが、袋の裏にはしっかり数十万円が入った封筒が貼り付けられていたという。
アイスぺールに、数々の酒を入れてブレンドし、一気飲みする“天龍カクテル”も有名だ。筆者もご相伴に預かったことがある……らしい。というのは記憶が全くないのである(残された写真で判明)。もっとも愛弟子の川田利明によると「天龍さん自体はお酒はそう強くない。ただ、他人を凄くよく見てて、勧めるのが上手い」とのこと。確かにそこまでの記憶はあるような気がした。
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