バスタブを“レミーマルタン”でいっぱいに…「猪木」「前田」「高田」酒豪ぞろいのプロレス界…海外遠征で「機内のビールを飲み干した」怪物レスラーといえば

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 元横綱・北尾光司が、大の字になってKOされた写真がスポーツ紙の1面を飾ったことがある。相手は千代の富士でも、高田延彦でもなかった。彼は私服姿だったのである。敵は“酒”であった。宴席で日本酒3升を振る舞われ、轟沈。急性アルコール中毒で搬送された(1990年11月25日。群馬県・磯部温泉。※1)。しかし、それを尻目に飲み続けた男たちもいた。天龍源一郎やザ・グレート・カブキら、古参レスラーたちである。

 10月1日に改正酒税法が施行。ビール類は一律の税率となったが、他の物価同様、全体的な値上げ感は否めない。しかし、それを歯牙にもかけぬのがプロレスラー。出だしの逸話宜しく、未だ“酒豪”の称号がよく似合う。そんな“プロレスラー・酒豪伝説”を綴りたい(文中敬称略)。

レミーマルタン風呂

 先ずは今月1日が命日だった、アントニオ猪木だ。1980年代中盤、重度の糖尿病に悩み、『もう一つの闘い: 血糖値596からの糖尿病克服記』(三笠書房)なる書籍まで上梓している猪木だが、酒好きで、闘病後も酒量は特に変わらず。「レミーマルタン風呂」なる伝説の浴室を作り出している。

「仲が良い記者さんとかを集めて、ホテル一室を借り切って飲み会をやったんだけど、酒を注ぐの、注がれるのは面倒くさい。だから、部屋のバスタブをレミーマルタンと氷で一杯にしてね。それを大ジョッキですくって飲む形にしたんだ」(猪木)

 1990年代の話だが、飲み終わるまで宴席は終わらない。驚くことに、一番飲んだのは当の猪木で、その直後の酔いの覚まし方も豪快だ。

「海辺のホテルだったので、そのまま泳ぎに行った」(猪木)

 他にも、特に90年代は海外の要人との接触が多かった猪木。ソ連(現ロシア)のお偉方のウォッカ攻撃にも負けなかった。そんな猪木の至言は以下だ。

「酒は、人と人の心を繋ぐもの」

 こちらを体現したのが1985年12月。ハワイで有名プロモーターの追悼興行に出た猪木は、特別な場とあって、アンドレ・ザ・ジャイアントとタッグを結成。アンドレの18文キックから猪木の延髄斬りという鮮やかな連携で快勝(※2)。すると、アンドレが言った。

「今夜は俺がおごる。ハワイには俺の行きつけのレストランがある。そちらで待ってるから来てくれ」

 いざ会食に赴いた猪木は、ここで自分の得意技を披露。自らが「アゴに貯めているのです」と極意を説明する「ワインの早飲み」である。これを見たアンドレは手を叩いて大喜び。気付いた酔客が次から次へとやって来て、「勝負しましょう」と言った。

 ワインを生ビールに換え、まさに「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」とした猪木は、大ジョッキながら、これも2秒かからず飲み干し、全ての挑戦者に完勝。傍らでは、アンドレが楽しそうに見守っていた。それは、2人が唯一、酒を酌み交わした夜だった。

 外国人レスラーの酒豪No.1は、やはりアンドレ・ザ・ジャイアントだろう。「札幌ビール園の飲酒記録を持っている」という都市伝説については、事実誤認であったことを当欄でも明かしたことがあるが(2023年6月11日配信)、それでもその手の逸話には事欠かない。

 シカゴから東京への空路で、飛行機内のウォッカを全て飲み尽くす。逆に、東京からサンパウロ(ブラジル)に向かう機内では、ビールを全て飲み干してしまったことも……。他の乗客から必ずクレームがつくので、これらはすべて伝説ではなく、事実なのが凄い。とにかく、度を越えた酒好きだったのは、一時期、アメリカでレストランを自分で経営していた理由の一つが「酒類を卸値で調達するため」だったことからも明白だろう。

 同様の理由で自分の店を持ったのが、全日本プロレスの大熊元司。1987年、横浜市の綱島駅近くで焼鳥店「大熊」を開業するも、ほどなく閉店。

「自分で自分の店の酒、全部飲みつくしちゃったんだって」(プロレス評論家・菊池孝)

 これを大袈裟ではないと感じさせるエピソードもある。酒の屋台を盗んだことがあるのだ。青森での試合後、屋台で痛飲すると、店の主人が「酒はもう無い」と返答。怒った大熊が主人に頭突きを喰らわすと主人は失神。大熊はそのまま屋台を自分でひいて来たという(ホテルに横付けして飲み直そうとしたそうだ)。もちろん、違法行為なので、厳重注意を受けたことは間違いないが、大変な飲みっぷりである。

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