【ブラッサム】ヒロインの今後を100倍楽しむために 「14歳で嫁ぎ、10日で実家へ…4度の結婚と離婚」宇野千代の奔放すぎる男性遍歴

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14歳での最初の結婚は10日で破綻

 NHK連続テレビ小説のヒロインのモデルで、これほど奔放かつ華麗な男性遍歴で知られた女性は、初めてなのではないだろうか。『ブラッサム』で石橋静河が演じる葉野珠のモデルとなった作家、宇野千代(1897-1996)である。4度の結婚と離婚の話にとどまらず、しかも、関わった文士や芸術家の名前も華麗なこと極まりない。もちろん、その豊かな人生経験こそが、彼女の文筆活動や前向きな生き方の糧になったに違いない。

 千代のさまざまな男性とのエピソードは、一つひとつ深く掘り下げて書くことも可能である。だが、ここでいったん「男性遍歴」の全体を整理しておけば、『ブラッサム』の展開を見通しやすくなるのではないだろうか。そこで、刑部芳則『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』(NHK出版新書)など、自他の複数の書籍を参考に、「遍歴」全体を俯瞰できるように凝縮してみたいと思う。

 第2週「父からの、解放」(10月5日~9日放送)では、放蕩無頼を続ける父の清治(渡部篤郎)が、珠の縁談を勝手に決める。宇野千代の「遍歴話」も、これに該当する縁談からはじめたい。

 明治44年(1911)、岩国高等女学校2年のとき、すでに病床に臥せっていた父の俊次の決定にしたがい、まだ14歳だった千代は、3歳年上で岩国中学校5年だった従兄弟の藤村亮一のもとに嫁いでいる。だが、亮一は千代が好みではなく、まだ17歳なのに毎晩好きな女性のもとで外泊したそうで、千代はわずか10日で家に戻っている。

 大正2年(1913)に父の俊次が死去し、籠から放たれたカナリアのように自由になった千代は、岩国高女を卒業すると、市内の小学校の代用教員になった。そして2年目の大正4年(1915)に、新任教員の玉田精磨を熱愛するようになる。恋文を生徒に運ばせたくらいだから、かなり熱が入っていたようだが、二人の関係が校内で噂になった結果、千代は依願退職に追い込まれてしまう。それでも玉田が諦めきれなかった千代は、機会を見てモーションをかけたが、玉田も学校で冷遇されるようになり、千代との関係を後悔して彼女を突き放した。

新聞に「姦通事件」のように書き立てられた

 大正5年(1916)、最初の夫であった藤村亮一の母親である叔母と再会する。そのとき叔母は、亮一の弟で京都の第三高等学校に通う忠を連れていた。千代は文通を皮切りに忠と親密になった挙句、京都に赴いて忠と同棲するようになり、大正8年(1919)には東京帝大法学部に入学した忠と結婚している。だが、その少し前に、千代は作家の久米正雄から交際を申し込まれたりもしており、かなりモテたようだ。

 1年後、夫の藤村忠は帝大法学部を卒業して北海道拓殖銀行に就職。千代もいったんは北海道で暮らすようになったが、しばらくすると、文筆するのに便がよかったこともあり、夫を北海道に残して、ひとりで東京に滞在するようになる。そのとき出会った作家の尾崎士郎に一目ぼれした千代は、間もなく尾崎が宿泊するホテルで寝起きするようになった。

 そんな千代の様子をうかがいに、北海道から忠が上京したりもしたが、そうこうするうちに、夫がいながら尾崎と同棲する千代のことを、新聞が「姦通事件」のように書き立てるに至った。当時の刑法では、夫の告訴によって、妻とその相手の男性が姦通罪で処罰される可能性があったため、千代の身はかなり危うかったのだが、大正13年(1924)4月に忠との協議離婚が成立し、辛うじて事なきを得た。大正15年(1926)2月から、千代は尾崎との結婚生活に入っている。28歳にして3度目の結婚生活だった。

 昭和2年(1927)、千代は梶井基次郎と出会い、急速に親密さを増し、周囲には恋愛関係ととらえる向きが多かったようだ。その後、重度の肺結核に冒された梶井は千代に、「僕が死ぬときは宇野さん、大坂の家に来てくれますね、僕の枕許で、僕の手を握っていてくれますね」と頼んでいる。

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