ご葬儀“大幅縮小”の背景にあった「上皇さま」の深謀遠慮…「上皇となられたことで法律上の“しばり”が無くなり、葬儀縮小の道が開けた」との声も

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高齢化という大きな障壁

 政府は2007年6月、広大な那須御用邸のうち、半分に当たる560ヘクタールの敷地を宮内庁から環境省の管理に移管すると発表し、翌08年3月に所管換が実施された。上皇陛下は国民との分かち合いを是とすることを基本にされてきた。この分割は「国民が自然に直接ふれあえる場として広く一般に活用してもらいたい」との意向からだった。陛下の分かち合いのお考えには「つつましい皇室と、国民の困窮忌避という表裏一体のテーマがあるようです」(同元幹部)。

 一方、上皇陛下は08年12月、ご自身の不整脈を公表された。2003年の前立腺がんの手術後、侍医長や皇室医務主管を中心にご健康には万全を図ってきただけに、不整脈の公表は驚きをもって受け止められ、拝謁の中止や起立を伴う行事への出席見合わせなど、緊急負担軽減措置が公式発表されることとなった。

 翌09年の2月には、恒久的な負担軽減策として式典での「おことば」の原則中止と外国賓客との面会時間短縮も発表している。さらに同年11月の即位20年記念式典終了を待って、植樹祭など地方訪問の移動距離短縮や日程緩和を柱とする公務軽減に取り組まれている。この時、陛下は75歳。翌月には76歳となり、実在が確認されている天皇としては推古天皇を抜き、父である昭和天皇に次ぐ、在位中の“高齢天皇”となった。

 こうした状況の中で上皇陛下は2010年春、当時の羽毛田信吾・宮内庁長官に生前退位の意向を初めて漏らされたのだ。上皇陛下は「これから先、象徴天皇としての務めを果たすことが体力的に難しいというような状況になったら」と不安を口にされたと、羽毛田氏は後に証言している。同7月には宮内庁参与ら側近が揃い、羽毛田氏も参加した宮内庁参与会議で意向が正式表明された。

 それから半年余りが経った後に発生したのが、東日本大震災だ。発災5日後の2011年3月16日、国民へ向けた緊急ビデオメッセージの収録に臨まれた陛下は「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切」と、ご自身の在りようにもご言及。「苦難を分かち合おう」と呼びかけられた。陛下がご自身の火葬を希望するお考えを内々に初めて羽毛田氏や川島裕侍従長(当時)に打ち明けられたのは、この直後のことだった。宮内庁関係者はこう解説する。

「実は上皇陛下は国民の経済負担軽減のため、当初から火葬、葬儀の簡素化、天皇陵の縮小をセットでお考えだった。ですが、側近方の反応から生前退位は容易ではないことを強く感じ、多くの人々が死の現実と向き合うこととなった震災を契機に火葬の既成事実化を先行させたようなのです」

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