皇居三の丸尚蔵館がグランドオープン…「国立博物館と思えないほど小ぢんまり」した展示館が「令和の正倉院」に生まれ変わるまで

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反発した右翼が発砲

「そもそも三の丸尚蔵館が誕生した背景には、複雑な事情があるのです」

 宮内庁元幹部は、そう語る。昭和天皇崩御から暫く経った1989(平成元)年5月2日、読売新聞が朝刊の一面で昭和天皇の総額20億円に上る資産に、国税当局が一般国民と同様、香淳皇后と上皇陛下を相続対象とする課税を行う方針であることをスクープ。一般国民は天皇の遺産にも巨額の相続税が課されるという、前例のないニュースに驚くとともに「課税は当然」との見解と「不敬だ」との意見が正面からぶつかる事態となった。

 8月16日には、課税の実施に憤慨した右翼団体メンバーの男が、御所のある皇居を管轄する麹町税務署に乱入。「課税の中止」を訴えて署内で拳銃を天井に向けて発砲し、そのまま立てこもるというテロ事件を起こした。男は直後に逮捕されたが、課税は5日後の同21日に公示され、配偶者控除が適用された香淳皇后は非課税となったものの、上皇陛下は4億2800万円を納税することとなったのだ。

「相続税法上、三種の神器や宮中三殿など『皇位とともに伝わるべき由緒ある物(御由緒物)』は非課税と定められています。ですが、皇室に代々受け継がれてきた絵画や書、工芸品などの膨大な美術品や文化財、献上品などは“天皇個人の私有財産”とみなされ、原則課税対象とされたそうです」(前出・宮内庁幹部)

 納税作業は宮内庁が代行。無事納付が行われたが、

「伊藤若冲の《動植綵絵》などは他に類を見ない至宝で、市場価格での評価は極めて困難だったそうです。初めから分かっていたことですが、皇室伝来の宝物は財産評価が困難であり、さらに納税のために美術品を売却したり物納したりすれば、歴史的文化財が散逸してしまう危険性も大変高いことが、つまびらかになったということなのです」(同)

私有財産を国に寄贈

 そこで“考案”されたのが、国への寄贈による「非私有財産化」だったのだ。香淳皇后と上皇陛下は翌6月、手元に残す一部の品を除いた3000件、計6000点の美術品を国庫に一括寄贈。これを保管するための宝物庫として建造されたのが、三の丸尚蔵館だった。

「ただし、ただの宝物倉庫では管理のための予算が宮内庁をかなり圧迫します。ですが博物館にして、一般公開する機会を設ければ、実態のある博物館として正当に別枠で予算がもらえるわけです。開かれた皇室をPRし、皇室伝来の宝物を国民と分かち合うという側面はありますが、それはある意味建て前でもあり、一石二鳥を狙ったわけです」(同)

 こうした経緯で翌年の11月に開館したのが三の丸尚蔵館だったのだ。だが時は流れ、退位前の上皇陛下が「もっと多くの国民に鑑賞してもらいたい」との意向を強められたことから「宮内庁を中心に、三の丸尚蔵館を名実ともに博物館と言えるものにする方針が固まったのです」(同)。

 余談だが、前代未聞の「天皇への課税」に最も激しく反発し、凶行に及んだ右翼団体の関係者は、その後の1994年5月30日、東京・新宿の京王プラザホテルで、首相を退陣した直後の細川護熙氏に、至近距離から天井に向け拳銃を発砲する事件を起こしている。

 三の丸尚蔵館のリニューアル工事は総工費155億円に上った。宮内庁はグランドオープン当日から、無料で一般公開されている東御苑にカフェや売店などを併設した休憩所を開業すると発表している。

 三の丸尚蔵館の運営は宮内庁から独立行政法人国立文化財機構に移管。カフェはコーヒー専門店の猿田彦珈琲が運営する。猿田彦とは『古事記』や『日本書紀』に登場する神の名で、天孫降臨神話の中で神武天皇の曽祖父(ひいお爺さん)のニニギノミコトが天から降りてきた際に地上で道案内をしたと伝えられる。「コーヒーの新しい道を切り開く」というビジョンに合致することから店名に採用されたものだ。

 来館者の憩いの場所も用意され、「看板に偽りのないモノホン(本物)の博物館」(前出の元学芸員)に生まれ変わった皇居三の丸尚蔵館が2か月後、「令和の正倉院」として新たにスタートを切る。

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。紙媒体やWEBでロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部

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