豊昇龍「3場所連続休場」を責めていいのか いまこそ考えたい「公傷制度」復活の是非

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“序ノ口から再出発”は本当に必要なのか

 大相撲には、怪我をして番付を大きく落とした力士が、下位から這い上がってくるという“美談”がある。

「たとえば、照ノ富士、朝乃山、炎鵬……。もちろん、大怪我をして番付を落とし、それでも土俵に戻ってくる本人たちの努力は想像を絶するものがありますし、たしかにそれは“感動の復活劇”と見ることもできるでしょう。ですが、純粋に“土俵上の勝負”として考えれば、必ずしも面白いとは言えません。極端に言えば、時間がもったいないと言ってもいいでしょう」

 野球で考えれば分かりやすい。

「大谷翔平選手が怪我のため治療のために長期にわたり離脱を余儀なくされた結果、復帰の際に“メジャーでプレーしたければ、まず1Aからやり直してください”と言われるような制度だとしたら、誰もが“納得できない”“時間の無駄だ”と感じるでしょう」

 大相撲はプロ野球と制度が異なる。とはいえ、“怪我による戦線離脱”と“実力の低下”を同じものとして扱うことに、合理性があると言えるのだろうか。

かつて存在した「公傷制度」

 実は大相撲にも、これに対応する制度がかつて存在した。

 それが「公傷制度」である。

 公傷制度は1972年1月場所から導入された。本場所の取組中に負った怪我について、一定の条件を満たした場合に番付面で救済する制度だった。

 公傷が認められた場合、休場した場所は休みを負けとして番付を決めるが、翌場所を全休しても次の場所で番付が据え置かれる仕組みだった。怪我を治すための時間を確保しながら、番付の急激な降下を防ぐという考え方である。力士にとっては“怪我を抱えながら番付降下防止のために無理やり出場する”という状況を回避できる制度だった。

 ただ、この制度には問題もあった。

 公傷の認定が広がり、比較的軽い怪我でも制度が適用されるケースが出るなど、“制度の濫用”が問題視された。休場力士が増えたこともあり、制度は2003年11月場所を最後に廃止された。

 つまり、公傷制度には明確な失敗の歴史がある。だからといって、“怪我による番付降下”という問題そのものを放置していいものだろうか。

豊昇龍の3場所連続休場が突きつけたもの

 今回の豊昇龍のケースを見てみよう。

 横綱は番付が下がらない。

 一見すると、番付が下がらないのだから、横綱の振る舞いと公傷制度の存否は何ら関係がないように思える。実際、番付面で救済される必要性はない横綱は、当時も公傷制度の適用対象から外れていた。

 しかし、番付が下がらないからこそ、横綱には“出場しなければならない”という圧力が、むしろ強く掛かっているともいえる。

 もし、“本場所で負った怪我による休場は番付面でお構いなし”とする公傷制度が存続していれば、故障を抱えている一般の力士と同様に、横綱もまた“出なければならない”という心理的プレッシャーから多少なりとも解放されるだろう。

 5月場所初日に右太もも裏を故障し休場した豊昇龍は、7月場所に出場して右膝を故障し、休場後に手術を受けている。いわば横綱としての責任を感じて強行出場した結果、症状を悪化させたように思える。

 つまり、豊昇龍の故障に対して、かりに公傷制度が適用されていたとしたら、彼は無理して7月場所に出るなんてことをせずに、遠慮なく休場することができただろう。その結果、手術が必要なほど症状を悪化させることも防げたのではないだろうか。

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