「南海のドカベン」香川伸行さん、愛され続けた52年の生涯 「全身が愛嬌で意外と俊敏」「かわいい奴だが頑固」

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頑固で自己管理が甘い

 1980(昭和55)年7月、1軍昇格の初打席で場外ホームランを放つ。

「豪快な打撃だけではない。先を読み相手の隙を突くセンスがある。だから捕手が務まった。驚かれますが、盗塁もしている。サードができたのも、体のバネが良かったからです」(藤原さん)

 歴代監督は減量を求めた。

「持久力に欠けるのです。状況をとらえるのが上手だから、練習を怠けるのもうまい。カメラマンに頼んで、走る姿をずっと追ってもらったこともある。かわいい奴なんですが、頑固で自己管理が甘いのです」(藤原さん)

 1983(昭和58)年、穴吹義雄監督は、減量命令を解除。南海の顔だ、とおだてたところ、長く首位打者を争い大活躍。ベストナインに選ばれた。成績はこの年がピークだった。

 体重は130キロに達し、選手生命以前に寿命が心配された。シーズンオフに入院して約20キロの減量に成功したことも。球団が南海からダイエーになった1989(平成元)年に27歳で現役を引退する。

人なつっこく、威張らない

 福岡に住み、野球解説者のかたわら、勧められて讃岐うどんの通信販売を始めた。

「解説というより応援のようでしたが、人気はありました。人なつっこく、威張らない。名前があるので人が寄ってきました」(藤原さん)

 1985(昭和60)年には、水島さん仲人を務め、飛行機の客室乗務員と結婚したが2年ほどで破局。1988(昭和63)年に再婚、1男1女を授かるが平成11年に別離する。長男は2006(平成18)年に甲子園に出場し、喜んだ。

 3度目の結婚で落ち着いた。お相手は高校時代の知り合いで、子供にも恵まれた。2002(平成14)年に博多に居酒屋を開き繁盛するが、腎不全で療養を余儀なくされる。店を手放し、2010(平成22)年に自己破産も経験した。

 9月26日夕方、自宅で倒れているところを家族が見つけ救急搬送された。心筋梗塞のため、52歳で逝去。

 週3回の人工透析を受けながらも、中学の軟式野球チームの指導を続けた。亡くなる数日前には東京で、プロ野球OBが集う仕事に参加して笑顔を見せていた。

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