「わざわざ言わなくていいの」八代亜紀さんが人知れず続けた被災地支援 義援金1000万円、畳を何便ものトラックで…元事務所社長が明かす
熊本を襲った大地震から間もなく2カ月。震災が起こるたび著名人による寄付が話題になるが、いつも人知れず被災地に心を寄せていたのが3年前に73歳で急逝した歌手の八代亜紀さんだ。演歌の女王の奔走と尽力を、間近で見た人物の証言である。
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【写真】現地に負担はかけられないと、太陽光パネルを積んだトラックで…八代さんが行っていた「被災地支援」の秘蔵カット
仕事を終えて自宅で一息つこうとする男性の携帯が鳴り響いた。2016年4月14日夜のこと。
「大変よ、熊本で地震が起きた。結構大きいわ」
郷里を案じる八代さんの声。連絡を受けたその人、八代さんの事務所の元社長の大野誠氏によると、彼女が熊本城の二の丸広場で歌を披露したのは、その2カ月後だ。
「崩れた石垣などを念頭に“お城がケガしちゃった。包帯を巻いてあげないと”と言うわけです。手配したステージ付きトラックは、現地に負担はかけられないからと搭載の太陽光パネルで電力を賄え、支援物資も大量に積みました。ステージでは普段着姿で歌い、現地の方々とお話も。元気を届けるという、歌手としてできる最大限の支援を行うためです」(大野氏)
「それは私が払うから」
費用はほぼ全額、八代さん個人が負担したという。
「それは私が払うから、と。災害が起きると、彼女が最初にするのは義援金を送ることです。当時の熊本地震では自身のお金で1000万円を寄付しました。東日本大震災のときも同じ額をお送りし、八代さんの地元の八代市がイグサの産地であることから、業者に呼びかけて畳を編めるだけ編んでもらい、物資と共に何便ものトラックで現地にお届けしました」(大野氏)
八代さんは「避難先が板張りでは辛いでしょ」と考えた。慰問にも再三訪れた。が、そうした事実が知られていないのには理由があった。
「寄付とは支援の第一歩でしかないという認識でした。“そういうことは、わざわざ言わなくていいの”とも。八代市の児童養護施設には40年近くも寄付していたり。ご存じなかったという人には、よく驚かれます」
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