「山も谷もあった」津川雅彦の役者人生 「名優」と火花を散らした「大河ドラマ」でのアドリブ秘話

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勝新の優しさ

「家康が秀吉に臣下の礼をとるかという大事な場面で、僕はアドリブで出された茶を秀吉様に先にと差し出した。これはいいアイデアだと思ったんだろうね。勝さんの表情がみるみる変わってセリフが出なかった。『休憩』と言い出して2時間出てこない。相手にいい芝居をされると悔しいんだよ。勝さんに教わることは本当に多かった」

 実は勝もまた“谷”から引き上げてくれた一人だ。

「70年代には勝さんの『座頭市』シリーズ(74〜76年、フジテレビ)などによく出ました。一度、六本木で偶然、声を掛けられて、飯を食いに行ったことがあってね。『これ、お前をほめてた』とポケットから僕の芝居の新聞の批評記事を出されたんです。勝さんが僕に会ったのは偶然でしょ。それなのに心に留めていてくれたんだ。ちょうど自分は落ち目だと思っていた時期だったから、感激したなあ」

 そして「独眼竜政宗」と同じくジェームス三木が脚本を担当した大河ドラマ「葵 徳川三代」(00年、NHK)に主演する。放送時60歳は最年長の大河主役だった。津川家康は女性にモテモテ、爪を噛むのが癖で超短気。秀吉が亡くなると即効天下獲りのため井伊直政(勝野洋)ら家臣たちに「こたびは死んでもらうぞ!!」と檄を飛ばす。気弱な跡取りの秀忠(西田敏行)にイライラすると、着替えの途中、下帯姿のまま秀忠に文句を言いに来る。一方、死の直前、大坂の陣で夫・秀頼(尾上菊之助)を亡くした孫娘の千姫(大河内奈々子)を思い、「(千姫が)寡婦となりしは不憫の極み」とよき相手との再婚を勧める。この人間味がよかった。

「僕はこの役で一人前にしていただいた気がする。ジェームス三木さんは恩人です」

監督業へ

 65歳のときにマキノ雅彦として初監督した映画「寝ずの番」(06年、光和インターナショナル/松竹)を発表。2作目は時代劇「次郎長三国志」(08年、光和インターナショナル/角川映画)だった。津川の叔父は次郎長映画の傑作シリーズを世に送り出したマキノ雅弘。同シリーズには俳優・津川雅彦としても出演している。

「いつか『次郎長』を撮りたいと思っていました。撮るからには天才・マキノ雅弘を越えなければならない。そのために僕は、いつくか戦略を立てた。これまでの次郎長は二枚目でね。男が惚れる男は二枚目半がいいんですよ。その点、中井貴一ちゃんは顔はいいのに喜劇的センスにあふれて、堂々と二枚目半になれる」

 演出に際しては時代劇ならではのルールにこだわった。

「よく現代調の時代劇と言うけど、僕はあまり好きじゃない。時代劇には時代劇の美しさやルールがあって、それを知っているお客さんに遊んでもらうんだと思う。幸い次郎長は言葉がわかりやすいから、初めて見る人にも理解しやすいと思う。それとアウトローのけじめは大事にしています。マキノ雅弘監督は『これはヤクザ礼賛の映画やないで』と言っていましたが、僕もその精神は受け継いでいます。ハンパ者の美学であるということを作り手もお客さんもわかった上で観るから、次郎長映画は面白いんですよ」

 晩年まで若い俳優に声を掛け、時代劇のルールを伝えていたという。影響を受けた俳優陣の活躍は今も続いている。

ペリー荻野(ぺりー・おぎの)
1962年生まれ。コラムニスト。時代劇研究家として知られ、時代劇主題歌オムニバスCD「ちょんまげ天国」をプロデュースし、「チョンマゲ愛好女子部」部長を務める。著書に「ちょんまげだけが人生さ」(NHK出版)、共著に「このマゲがスゴい!! マゲ女的時代劇ベスト100」(講談社)、「テレビの荒野を歩いた人たち」(新潮社)など多数。最新刊は三谷幸喜との共著「もうひとつ、いいですか?」(同前)。

デイリー新潮編集部

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