怒涛の展開も歴史の改変もない 朝ドラ「風、薫る」が華美を排して証明してみせたこと
いよいよ看護婦養成
ほかの文字にも胸を突かれた。りんと直美が帝都医大病院にいたころ、看病婦だった三浦ツヤ(東野絢香)が、本に書き込んだ文字である。
ツヤは同病院時代、看護婦を目指していたものの、仕事と勉強の疲れから投薬ミスを犯し、解雇された。第65回のことだ。
本はその際にりんが手渡したナイチンゲールの著書『NOTES ON NURSING』である。そもそも、看護婦養成所の指導者であるマーガレット・バーンズ(エマ・ハワード)から、りんに贈られた。それをりんがツヤに手渡したのは、看護婦を目指してほしいからだった。
ツヤが、りんと直美の前に再び現れたのは第121回。同病院での別れから約13年の歳月を経ていた。ツヤは直美の経営する恵風看護婦会で雇ってほしいと頼んだ。その際、手にしていた『NOTES ON NURSING』は、書き込みで埋め尽くされていた。
ツヤは解雇されたとき、「私、諦めませんから」と言い残したが、その言葉に嘘がなかったことを書き込みが証明した。
りんと直美はツヤを躊躇なく受け入れ、看護婦教育を施し始める。それはバーンズとの約束でもあった。バーンズはスコットランドに帰国する際、6人の教え子に自分の夢を託した。第59回だった。
「私は6つの種をまくことはできました。それが60人、600人、6000人に増えた時、私の夢はかないます」
りんと直美のモデルである大関和と鈴木雅は、看護婦教育でも大きな実績を残した人だ。それを描かずに最終回は迎えられないのである。
振り返ると、この物語はりんの父親で元小藩の家老・一ノ瀬信右衛門(北村一輝)がコレラで亡くなるところから始まった。1882年(明15)だった。
信右衛門が亡くなる直前まで、りんは「江戸娘一代双六」で優雅に遊んでいた。元家老の娘らしい暮らしだった。
ところが、信右衛門がコレラに罹ると、看病人を雇えない。りんは家に金がないことを初めて知る。信右衛門と美津(水野美紀)が子供に金の心配をさせまいと台所事情を伏せていた。よくある話である。
信右衛門はりんに病気を感染させまいと、小屋に籠城する。この時点で信右衛門が一命を取り留めるのは難しかった。コレラからの回復には水分と電解質(塩分)が不可欠だからだ。医師、あるいは看護婦の存在が不可欠である。
金がないから、信右衛門は無念の死を遂げた。孤児だった直美も貧困の辛さを肌身で知っている。それが第97回以降の恵風看護婦会による無償看護につながった。
直美のモデル・鈴木雅が運営していた慈善看護婦会は、実際に無償看護を行っていた。りんのモデル・大関和は帝国大学医科大学第一医院(現在の東大病院)に勤務していたころ、貧しい患者の入院代を自分で払っていた。
バーンズは「看護とは何か? 問われているのは、私自身である」と言っていた。その言葉は、りんと大関和、直美と鈴木雅の生き方そのものであり、この朝ドラの主題でもある。
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