「いや、十分おいしかったですよ!」という返事が相手をイラっとさせる理由…人間関係を静かに蝕む“ちょっとした言葉遣い”への違和感
ポテサラ騒動
私自身が編集者のため、普段から文章に接することが多いため過剰反応をしてしまったのかもしれないが、気になったのでこれらを説明した。
するとA氏ははっとした顔をしながら「今、指摘してもらわなかったら、オレは一生気づかなかったと思います。本当にありがとうございます。こちらはまったく意識していなかったので、指摘していただけて良かったです。時々出てしまうかもしれませんが、意識して喋りたいと思います」と語った。
確かに言葉遣い一つで不快に思ったことをSNSに書くと、それに同意する人が出て、その発言者を批判する意見が多数出てくることがある。その代表的なものが「今日のお昼ご飯、何にする?」と妻が夫に聞いた場合の「簡単に素麺でいいよ」の一言だ。
「簡単に」「で」は、夫は妻の負担を軽減するための配慮である、と感じている。だが、実際に料理を作る妻からすれば「ネギ切ったり錦糸卵作ったり、氷で麺を締めたり、麺つゆも薄めたりしなきゃいけないし、準備すること多くて簡単じゃねーよ」と思うのに加え「素麺『で』ってなんだよ!」と苛立ってしまうのだ。
だったら夫はどう言えばいいかといえば、一言、「素麺が食べたい!」、これである。何事もポジティブに発言することによって相手の不快感は減るもの。「素麺でいい」という言葉には、素麺には不満あるけど妥協をしてやるぜ、といった上から目線のニュアンスが付着してしまい、そうした気持ちを伝えたいわけでなければ、絶対に使わない方がいいのである。
2020年、X上で話題となったのが、「ポテトサラダ騒動」である。スーパーの総菜コーナーでポテトサラダを見ていた子連れの女性が通りかかった高齢男性から「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言われたという件である。ここには3つのイラッとするポイントがある。
「母親なら」=母親は手間をかけて料理をするのが当たり前で、出来合いの総菜など買うべきではない、という(料理をしないであろう)高齢男性の不躾な発言への批判。
「ポテトサラダぐらい」=ポテトサラダを作るのは案外手間がかかる。ジャガイモは洗わなくてはいけないし、茹でるか電子レンジ過熱をしたうえで皮もむいてマッシュ状にする。人参も過熱しなくてはならない。ゆで卵も作り、細かく切る。キュウリ・タマネギ・ハムも切ってさらに味付けをする。そんなに簡単にできるものではない、という反論。
そもそも他人の家庭での食事にケチをつける必要はないだろう、という反感。なぜ売り物であるポテトサラダを買うことが「手抜き」「愛情が足りない」という文脈で批判されなければいけないのか? という疑問。
言葉一つで不快に思ったり違和感を覚えたりすることは多々あるわけである。その程度のことで嫌われたり損をしたりするのは勿体ない。時折、仲の良い人に「私にはイラッとする言葉遣いってあります?」は聞いておいた方がいい。



