「もう決まり」のはずが…マジック1でも届かなかった「あと1勝」の残酷
最後まで何が起きるかわからない
シーズン最終戦のダブルヘッダーでマジックを「1」まで減らしながら、時間切れ引き分けに泣いたのが1988年の近鉄である。
同年、9月中旬から8連勝するなど猛チャージをかけた近鉄。首位・西武が73勝51敗6分の勝率.589で全日程を終了した10月16日の時点で、近鉄は72勝51敗3分、勝率.585の0.5ゲーム差で2位につけていた。残り4試合のうち3勝すれば逆転優勝が可能だった。
10月17日は阪急に1対2で敗れ、あとがなくなる。ところが翌18日は、16勝6敗とカモにしていたロッテに12対2と大勝。残り2試合を連勝すれば、8年ぶりのリーグVが実現するところまで漕ぎつけた。
そして10月19日、近鉄は逆転Vをかけ、川崎球場でロッテとのダブルヘッダーに臨む。伝説の“10・19決戦”である。
第1試合、近鉄は7回を終わって1対3と劣勢。だが、8回に村上隆行の2点タイムリー二塁打で追いつくと、9回には同年限りで引退する梨田昌孝の執念の中前タイムリーで4対3と勝ち越した。ついにマジック1である。
第2試合も中盤以降、点の取り合いとなり、もつれにもつれた。
そんながっぷり四つの展開のなか、3対3の8回、近鉄はブライアントの一発で勝ち越す。そのまま逃げ切るかに見えたが、その裏、ロッテも高沢秀昭のソロで追いつく粘りを見せた。
結局、延長10回4対4の時間切れ引き分け。近鉄はゲーム差なしの勝率2厘差で優勝を逃す。
結果論になるが、9回裏のロッテ攻撃中に二塁走者へのタッチプレー判定をめぐり、ロッテ・有藤道世監督が猛抗議。試合は9分間中断した。もし、この中断がなければ延長11回に突入し、近鉄にもう1イニング攻撃のチャンスが与えられたはずだった。
10回裏、重い足取りで最後の守備につくナインに、選手会長の大石第二朗が「頑張れば、(制限時間内の)3分で終わる」と声をかけた話もそうだが、2試合とも野球の醍醐味をたっぷり堪能できるエピソードやエッセンスがぎっしり詰まっていた。まさに球史に残る名勝負と言えるだろう。
マジック1同士のチームがシーズン最終戦で直接対決する史上初の優勝決定戦が実現したのが、1994年10月8日の中日対巨人である。
9月後半から8連勝して10月1日に巨人と同率首位に並んだ中日は、その後の3試合を2勝1敗で乗り切った。巨人も同じく2勝1敗。両チームは同率のまま、ナゴヤ球場で“10・8”決戦を迎える。
中日の高木守道監督は「まず先制すること」をポイントに挙げていた。ところが、その目論見は外れる。
エース・今中慎二が2回に落合博満に先制ソロを浴びるなど、4回5失点。頼みのエースが試合をつくれなかったことは大きな誤算だった。
これに対し、巨人・長嶋茂雄監督は2回途中から斎藤雅樹、7回から桑田真澄をリリーフに送る“黄金リレー”を敢行。6対3で逃げ切った。
中日は地元の利を生かせず、6年ぶりの優勝を逃した。
2022年のソフトバンクも同じだった。
9月30日にマジック1とし、残り2試合で引き分けでも優勝決定。ところが、ここから西武、ロッテに連敗する。
最終的にはオリックスと同率首位ながら、直接対決で10勝15敗と負け越していたため、規定により2位。ほぼ手中にしていたVが最後の最後ですり抜けた。
「百里の道も九十九里を半ばとす」といわれるように、勝負事は最後の詰めがいかに肝心か。マジック1までたどり着いても、優勝が決まるまでは何が起きるかわからないのである。







