「料理や得意のお菓子を御所に持っていかれることも」 「紀子さま」60歳 姑「美智子さま」と良好なご関係を築かれた秘訣とは

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紀子さまメモ

 紀子さまは、美智子さまの子育てから多くを吸収したようである。

 例えば、あの有名な「ナルちゃん憲法」。紀子さまにも同様の「紀子さまメモ」というものがある。美智子さまは、皇太子(現・天皇)さまが生後7カ月の時に約2週間の訪米旅行に出られるが、留守中お世話する人へと、大学ノートに育児の注意点を書かれてお預けになった。同じように、紀子さまも公務でお出かけの際、メモを作っておいて行かれる。

 また、美智子さまと同じように母乳育児の紀子さまは、公務などで子どもと長い時間離れなくてはならなくなった際、あらかじめ絞っておいた母乳を冷凍してそれを戻して与えるようにされていた。これなども美智子さまがなさったことだった。

 むろん美智子さまは雅子さまにも育児書を贈られているのだが、残念ながらいまのところその育児から、こうしたエピソードは聞こえてこない。

 思うに、紀子さまはいつもご自分をまっさらな状態にされており、進んで美智子さまのお話を受け入れて来られたのではないか。元来、そういうご性格のように思われてならない。

 紀子さまは、雅子さまが強い意志でなされた「公園デビュー」のような試みは、なされなかった。これは2人の態度の違いをよく表している。雅子さまはいつもご自身のお考えがきちんとおありになる。みなみもと町公園に2回、明治神宮外苑児童遊園に2回、宮内庁の反対を押し切ってまで愛子さまを外に出されたのは、それが考え抜かれた結果だからだろう。しかしこの点が、雅子さまを追い込んでしまった。公園デビューは体調を崩された時期に重なっている。非常に残念なことである。

赤坂御用地の日々

 美智子さまと紀子さまの親密な交流を可能にした、もうひとつ大きな要因がある。それは、赤坂御用地の同じ敷地内で天皇(現・上皇)家と秋篠宮家が一緒の時期を過ごされた、ということである。

 昭和天皇が崩御して、今上天皇(現・上皇)はすぐに皇居に移られたわけではなかった。新御所ができあがる平成5年12月まで赤坂御所にとどまられたのだった。

 秋篠宮夫妻の結婚は平成2年だから、3年ほどは同じ赤坂御用地内で過ごされている。その間に出産もあった。こうした大事な時期に一緒にいられたこと、これが大きな意味を持っているのだ。

 当時、美智子さまは毎日、朝6時から1時間ほど御用地内をウォーキングして回ることを日課とされていた。その際、秋篠宮邸を気軽に訪問されることがしばしばあり、おしゃべりを楽しまれたという。また紀子さまもジョギングが趣味だったから、美智子さまとたびたび連れ立って御用地を歩かれる、ということもあった。

 両家は文字通りスープの冷めない距離で、紀子さまは料理を御所に持っていかれたり、得意のお菓子を作って持っていかれたりもしている。

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