「ご結婚の準備は完全に美智子さまの主導で…」 還暦を迎えられた「紀子さま」は、なぜ皇室に見事に“適応”なされたのか? その秘密
社会経験なしに皇室へ
礼宮さまと出会ったのは大学1年の時で、その暮れには三浦半島でデートされ、両陛下(上皇・上皇后陛下)にもお会いになっている。そして大学院の1年目に婚約。
こうした経歴を見ていくと、紀子さまが皇室に溶け込めたいくつかの理由はすぐに思いつく。
雅子さまは外務省で6年ほどキャリアとして働かれたあと、皇室に入られた。一方、紀子さまには社会経験といったものがなく、外の社会を知らずに入られている。まずはそれが皇室にすんなり馴染んでいけた理由の一つだろう。
また、学習院は皇族が通う学校である。一時、初等科にも通われ、中等科からはずっとその環境で学んできた紀子さまにとって、一般に感じるほど皇室は遠い存在ではなかったかもしれない。これもまた、皇室に馴染むことができた一因ではあるだろう。
そして秋篠宮さまとの約5年にわたる長いお付き合い。紀子さまは交際時から両陛下とたびたび会われていたことも、プラスに働いていよう。
だが、紀子さまの生活ぶりを仔細に見ていくと、それらはほんの一部の要因でしかないことがわかってくる。彼女を皇族に迎え入れる両陛下のさまざまなご配慮と、それに応えていく紀子さまという構図が少しずつ見えてくるのである。
美智子さまと同じ装いで
その始まりは、「納采の儀」から「結婚の儀」にかけてすでに表れている。美智子さまが紀子さまの精神的な負担を出来る限り少なくするべく、さまざまに心を砕かれている。このご結婚の準備は完全に美智子さま主導で進んでいた。弟宮の結婚として、紀子さまは常陸宮華子さまに準じる支度をされることになっており、実際そのように進められたのだが、そこに美智子さまはきめ細かな配慮をされたのだ。
一般の結納にあたる「納采の儀」で、紀子さまが振り袖に締めていた西陣織の菊華紋の帯は老舗「龍村」のものだったが、それは美智子さまが31年前、ご自身の「納采の儀」の際にお召しになった帯の柄と同じだった。当時の型紙が残されていたことから、美智子さま自身がご注文になり、紀子さまのもとに届けられたのだという。
また、古装束による「結婚の儀」のあとにお召しになったローブ・デコルテについては、美智子さまの女官を通じて中村乃武夫さんに依頼があった。当時の美智子さまのメイン・デザイナーは植田いつ子さんだったが、以前は中村乃武夫さんが数多く手がけていた。美智子さまはそれを気にかけていらしたというが、この機に紀子さまに紹介されたのだ。そして「納采の儀」の際に贈られた服地「明暉瑞鳥錦」から、中村さんが、結婚当日のローブ・デコルテを作った。これも美智子さまがご成婚の時に身につけられたものを参考にしたデザインだったのだ。
ちなみに雅子さまの時は、森英恵さんのデザインだった。
皇族として一歩を踏み出す際に、皇后である美智子さまと同じ装いであることは、紀子さまにとって大きな支えになったに違いない。精神的に大きな安定をもたらしたであろう。紀子さまは美智子さまの導きで皇室入りしたのだった。
[2/3ページ]

