「あんた、あのとき死んでいればよかったね」と言われて母を殴った…家を追われた僕を救った「スナックのママ」とその娘との恋
違う生き方があったのか…だが親には逆らえず
智紀さんにとっては衝撃だった。どんなに厳しくても、両親は正しいと思い込んでいたからだ。妹は自宅にいるときには見せたことのない弾けた笑顔を見せていた。自分はあんなふうに笑ったことがあるだろうか。そもそも、智紀さんには友だちがいなかった。両親には「ろくでもない友だちとつきあうくらいなら、ひとりでいなさい」と小さいころから言われていた。自分が親の考え方に染まりきっていることを彼は初めて認識したのだ。
「違う生き方があることがわかったのは、大きな発見でした。でも僕は親に逆らうことができなかった。結局、親の言うなりに私立高校を受験して不合格になり、公立校に進学したけど、そこでも勉強はできなくて。それでも親はあきらめてくれない。塾と家庭教師の2本立てで、だんだん息がつまるようになりました」
「あのとき死んでいればよかったね」
高校時代、彼は自殺を図っている。親に追いつめられたのだ。その後、第一志望の大学に落ちたとき、母は「あんた、あのとき死んでいればよかったね」と言った。その瞬間、彼の中で何かが弾けた。彼は母親を殴り飛ばしてしまう。母の悲鳴を聞きつけた近所の人が警察に連絡、一時期はかなりの騒ぎとなった。
「母もたいしたケガではなかったから、ことが公になることはなかったけど、僕と親との関係は完全に切れました。家を追い出され、今後、学費以外はいっさい出さない、学費も卒業後に返せと言われた。出ていっても行くところがない。第二志望の大学に入ったばかりだったから友だちもいない。しかたなく妹が預けられた親戚に連絡しました。父のいとこであるおじさんは、『ついにきみもか』と笑っていた。その笑顔を見て、僕もふっと気が楽になったのを覚えています」
親への恨みがムクムクと…
そのおじさんが保証人になってくれ、大学近くに安いアパートを借りた。その初期費用もおじさんがもってくれた。そして、「貧乏坊主だから、ごめんな。これは生活費の足しにして。あとはもう出せないけど、米と味噌は送ってやる」と言って30万円をくれた。
「でもそのお金とアパートがあったから、僕は自立できた。あとは大学に通いながら、せっせとアルバイトをしました。いろいろなバイトをしましたが、最終的にはやはり夜の仕事に行き着いた」
キャバクラやコンセプトバー、風俗店など、少しでも時給のいいところを渡り歩いた。向いていたのか、仕事は楽しかったという。
「楽しそうに仕事をしている女性もいれば、金のためと割り切っている子もいる。男に貢ぐためという子もいましたけど、そういう子たちの話を聞くのが興味深かった。僕が育った環境はなんて狭かったのかと思い知りましたね。親にも彼女たちの話を聞かせたかった。人生、大変だけどみんなこうやって必死にがんばってるんだ、偉そうに上から僕を支配していた親への恨みが、改めてわき起こってきた」
そのとき初めて、智紀さんは自分の育った環境と両親に対して、真正面から向き合ったのだという。心の底からわいてきた怒りや恨みにどう対処したらいいかわからなかった。友だちとして仲よくなったバーの女性経営者が、「人生に迷ったら私が行く場所がある」と連れていってくれたのが、とあるスナックだった。
「みんなから、エリママと呼ばれている恵理さんがやっているスナックでね、僕が行ったときはサラリーマンが止まり木にへばりついて愚痴っていました。恵理さんは当時、50代だったのかな。包容力のある素敵な女性でした。週に1回くらい、その店に行くようになって、ぽつりぽつりと断片的に親のことなど話した記憶があります。恵理さんはじっと聴いてくれるんですよ。当たり障りのないことは言わない。いつも最後に、『で? あなたはどうしたいの?』と言う。僕は親から、あなたはどうしたいのかと問われたことがなかったと気づきました。『人間はね、みんな好きなように生きればいいの。好きなように生きられるように努力すべきと言ったほうがいいかな』とも。彼女の言葉はずっと心に残っています」
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