「遺伝的要因のおそろしさ」投稿で東大教授が大炎上 決定的にダメなのはどこなのか
「遺伝的要因のおそろしさ」
東京大学教授のXへの投稿が猛烈な反発と批判の対象となっている。9月1日、東京大学大学院教育学研究科教授の本田由紀氏はX上で、次の文章を投稿した。
「この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる。露出の増加が逆効果になるかもしれない」
速報「どうなってるオラ!」「頭おかしいんかゴラ!」パイプ椅子までぶん投げて…タクシー大手「東京エムケイ」62歳オーナーの“台風”パワハラ
速報辺野古沖転覆事故「自分のせいだ」と漏らし… 同志社国際高校の59歳教諭が死亡 「校長に『休職させてほしい』と願い出るも、引き止められた」
本田氏が「この人たち」としているのは、二人の女性皇族と思われる。その顔写真と共に二人を批判する投稿を引用したうえで、上の文章を投稿していた以上、それ以外の解釈はできないだろう(ただし、ここでは皇族の名前や、本田氏が何を「おそろしい」としていると思われるかは触れないこととする。それ自体が、問題行為につながりかねないからだ)。
本田氏の投稿は、すぐに各方面から批判を浴びた。代表的なものを見てみよう。
「これ東大教授がして大丈夫な表現なのか」(哲学者・東浩紀氏の投稿。9月1日)
「『遺伝的要因のおそろしさ』ってたとえ鍵垢で呟いていても『苛烈な人権侵害』でアウトなレベルなんじゃないの?」(法政大学法学部教授・河野有理氏の投稿。9月2日)
「私は、この発言を、特定の人々に対する否定的評価を遺伝と血統に結びつける、優生学的含意を帯びた差別的言説として容認できない」(医師・宮原篤氏の投稿。9月2日)
このうち宮原氏はより長文の抗議声明もネット上で公開している。宮原氏はそこで本田氏の投稿のどこが問題なのか、わかりやすく丁寧に説明してくれている。
「政治家、皇族その他の公的人物について、その発言、行動、制度上の地位、公費の支出などを批判することは当然に認められる。
しかし、具体的な制度や行動を批判することとその人物に対する否定的評価を遺伝や血統に結びつけることは、まったく異なる。
人は自らの血統や遺伝的特徴を選ぶことができない。それを根拠として個人や親族を一括して評価することは本人の選択や具体的行為ではなく、出自に基づいて人間を評価することである。(略)
(本田氏が『おそろしい』としているのが)仮に人格や言動を指しているのであれば好ましくない性向が血統によって受け継がれているとの趣旨になる。仮に外見を指しているのであれば遺伝的に受け継がれた顔貌を『おそろしい』と否定的に評価することになる。いずれの場合も批判の対象を具体的な制度や行為から本人が選択できない遺伝的特徴と血統へ移している」(宮原氏による「本田由紀氏『遺伝的要因のおそろしさ』投稿に関する声明」より)
大雑把に言えば、公人を批判する権利はあるとしても、その際に遺伝や血統を持ち出すことは許されない、という主張である。
この手の乱暴な物言いは、一昔前のドラマではよく見られた。
「卑しい奴め! やっぱりあの女の娘だ。血は争えないな」という類のセリフを吐くのは当然ながら悪役である。今回の場合、こともあろうに東京大学教授がそのような発言を堂々としたために波紋も大きかったということになる。
島宇宙の住人
強い反発を招いた要因としては、本田氏がいわゆる「リベラル派」の論客として知られていた点も挙げられるだろう。今回の件をきっかけに本田氏の過去の言論もさまざま取りざたされているようだ。たとえば2014年10月26日付朝日新聞記事には「差別、まず知ることから」と題した文章を寄せ、日本社会に見られる差別をいかにしてなくしていくべきかを真剣に説いている。これは本田氏が常に持つ問題意識だろう。
宮原氏の文章にもあるように、当人に「選ぶことができない」要因をもとに否定的な評価を安易に下すことは、慎むべきである。そのような考えを深く理解し、「差別」をなくそうと考えているはずの本田氏が、優生思想そのもののように読める発言をしたゆえに、より強い反発や批判が起こるのはやむを得ないところかもしれない。
もちろん本田氏が、皇族や特定の人物に反感を持つのは自由であるし、またそうした意見を、共有できる知人、友人たちと完全にクローズドな場で交わすのも自由だろう。問題はなぜそれを公の場で披露するのかということだ。
それを読み解くうえで見逃せないのが、問題の投稿への「いいね」の数かもしれない。話題になったため、この投稿は2日時点で360万回表示されている。多くの批判コメントが寄せられているのはすでに述べた通りだが、実は「いいね」も4800以上ある。つまり本田氏の投稿に共感する人も少なからず存在している、ということになる。本田氏のフォロワーが8.8万人ということを考えれば、5000近い「いいね」は悪い数字ではない。直近の投稿の中では高い支持を得ているほうだとも言える。
仮に本田氏が厳しい意見ではなく、「いいね」にのみ着目しているとすれば、投稿は問題ないどころか、有意義な発信だという解釈をすることも可能となる。実際、少数ではあるが、本田氏への連帯を示す人も存在している。XなどSNSの厄介な点は、利用者の考え方一つで、自分にとって都合の良い、あるいは心地よい意見にどっぷりと浸かっていられる点だ。
批評家の物江潤氏は、著書『ネトウヨとパヨク』の中で、「島宇宙」という言葉をキーワードとして、このような状況を読み解き、警鐘を鳴らしている。島宇宙とは、社会学者の宮台真司氏が示した考え方。日本全体の同質性が失われていく中、同じような価値観を持った人が集まり、それぞれがグループ(島宇宙)を作っているという主旨である。
「そんな島宇宙は、現在の日本において減るどころか、ますます増えているとする声が聞こえてきます。それだけでなく、島宇宙内での活動が攻撃的になり、他の島宇宙に対する誹謗中傷やレッテル貼りが目立つようになりました。
それぞれの島宇宙には、それぞれの正義があります。(略)自分たちの正義にこだわりすぎると、他の島々の人から賛同を得られず孤立し、自身にとっても社会にとっても大変な不幸をもたらしてしまうようです」(『ネトウヨとパヨク』より)
有名無名を問わず、問題発言を諫められても撤回や謝罪をかたくなに拒む人は珍しくない。傍目には理解不能な意固地さなのだが、そういう人はもしかすると小さな島宇宙においては幸せに生きているのかもしれない。
批判に対して本田氏は5日、「X(旧ツイッター)への投稿に関する解説」という長文をX上で発表した。差別うんぬんの批判は的外れであるというスタンスで、謝罪や撤回といった要素は見あたらない。
本田氏なりの真意を「解説」したこの文章については、さらに反発を強めている人が多く目立つ一方で、理解を示す人も一定数存在している。島宇宙は健在なようだ。
「石原慎太郎に見る『真のエゴイズム』の価値」など、石原慎太郎、戸塚宏からJ.S.ミルまで物江氏が新鮮な角度からその価値を見直すシリーズ「禁じられた教養」は、情報・教養サイト新潮QUEに掲載されている。




