検察不祥事が相次ぐなか“初の慶応出身”検事総長が誕生 “火消し役”として評価の声も信頼回復は険しい道のりか
看板はあくまでも経済学部
だが上位5傑に、慶応の名はない。
「トップを複数輩出している東大、京大、中大、日大、明大の5つはいずれも文系の看板学部が法科です。ですが慶大の看板は経済学部。法曹界では慶応は“傍流”なのです」(同法曹関係者)
川原氏の総長就任には検察OBから「やっかみとも邪推とも受け取れる、的を射ていない誹謗中傷の類い」と擁護する声もあるが、慶応出身の起用が注目されるのも、理解はできるだろう。
しかし、実は戦前には法曹界を牽引した慶応OBがいた。江戸時代の1850年に豊前国宇佐郡(現在の大分県)で生まれた横田国臣氏は、検事総長と現在の最高裁長官に当たる大審院院長の双方を歴任した司法官僚だ。慶大の前身となる慶応義塾で学んだ後、いったん検事総長の職に就き、ブランクを置いて1904(明治37)年に総長に返り咲き、1906年には大審院院長となった。以後、1921年に定年退職するまで15年の長期にわたって院長を務め、戦後の最高裁長官を含め歴代1位を記録している。
慶大の卒業生でつくる三田会関係者は「川原氏は野心家タイプではなく、純粋な正義感の持ち主です。学生時代から、横田元総長を大先輩として尊敬していると話していました。論功行賞を求めるようなタイプでもありません」と話す。
ロッキード事件で首相の犯罪に斬り込んで返り血を浴び、特捜検察冬の時代と呼ばれた時期を過ぎた平成以降、「大物総長」と称された東大出身の検事総長には原田明夫氏や松尾邦弘氏、樋渡利秋氏、林氏らがいるが、いずれも東京地検特捜部を若い頃に経験しており「偉大な先輩方の後に続くという意味で特捜も経験している川原氏は総長には適任」(検察幹部)との声もある。また川原氏も務めた東京地検の本部係が、重要ポストと認識されるようになったのは、1995年の地下鉄サリンなどオウム真理教事件がきっかけだ。
「ですが川原氏は特捜部で、これを手掛けたと言える事件はなく、本部係も1年だけ。同期に東大法卒の有力株がいなかったので『特捜も本部係も、単なる箔付けのため経験させてもらっただけ』と揶揄する声もあります」(同法曹関係者)
モリカケ問題に揺れた安倍政権による、黒川氏定年延長ゴリ押し疑惑の後遺症という“亡霊”と、東大でも公務員離れが進む中、既得権益にしがみ付いている印象を持たれがちな守旧派東大OBたちの時代錯誤な不満……仮にそんなものがあったとしても、新総長には検察の“復権”に向け、雑音には耳を貸さずに職務に邁進してほしいものだ。
[3/3ページ]

