「妻と娘を強盗殺人で失い…」 マブチモーター創業者・馬渕隆一さんが93歳で逝去

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は8月7日、93歳で逝去した、マブチモーターの創業者で、社長、会長を務めた馬渕隆一(たかいち)さんについて取り上げる。

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 2002年8月5日月曜、千葉県松戸市。小型モーターの製造で世界トップを誇るマブチモーターの馬渕隆一社長の自宅から出火した15時台は、晴天で35度に迫る暑い日だった。

 駆け付けた馬渕さんは妻の悦子さんと長女の由香さんが亡くなったと知る。妻はパーキンソン病を患い、長女は一家の家事を担いながら看病を続けていた。

 ほどなく単なる火事ではないと判明する。妻子は絞殺された後に、火を放たれていた。時計や貴金属、現金が奪われたが現場には手つかずの金品も。強盗か怨恨か。放火殺人事件として始まった捜査は難航した。馬渕さんは実直で怨恨とはほど遠い。

日本の技術を見えないところで支える代表格

 1932年、香川県高松生まれ。10歳年上の兄の健一さんは発明家肌で敗戦後、学校教材用に小型モーターの組み立てキットを自作販売。さらに、従来にない仕組みの直流小型モーターを作り出す。馬渕さんも加わり兄弟で開発と販売を始めた。ぜんまい代わりに玩具の動力に使えると、54年、マブチモーターの前身となる東京科学工業を設立した。

 科学技術ジャーナリストの中野不二男さんは言う。

「マブチモーターはプラモデルや模型の動力、水中モーターでなじみがある人も多いでしょう。玩具の動力から始まり、今やミラー、ドアのロック、パワーウィンドウなど車の電装部分に不可欠のモーターに発展した。高品質のネジ同様、部品に徹し日本の技術を見えないところで支える代表格のような存在です」

「財界」主幹の村田博文さんも振り返る。

「小型モーター製造に特化し多くの用途で使ってほしいと、より高性能、低価格を実現した。車だけでなくCDプレーヤー、プリンター、医療機器など時代に即し小型モーターが組み込まれる先を読んでいた。海外生産も60年代と早い」

 馬渕さんは85年に健一さんから社長を引き継ぐ。バブル期でも本業以外に手を出さず、小型モーター一筋。

 事件発生から3年後、小田島鐵男と守田克実が逮捕された。馬渕家とも社とも無縁で、服役中に意気投合した仲だった。二人は妻子の命を奪った後、2件の強盗殺人を起こして4カ月足らずの間に計4人を殺害。共に死刑が確定したが執行前に病死している。

 ノンフィクション作家の斎藤充功(みちのり)さんは小田島の死亡まで10年以上にわたり、面会と手紙のやりとりを続けてきた。

「同世代でもあり、冷酷な小田島の行動の原点は何だろうと関心を持ったのです。資産家家族を監禁し3億円を強奪した事件で服役中に、出所後の犯罪計画を練っていました。経済誌や会社四季報を基に優良企業に目をつけ、その筆頭がマブチモーターでした。手紙の文面、面会時の会話も冷静で論理的でしたが、自分のような貧乏人はどうせ同じ人間だと思われないのだろう、と激情が湧き出す時があった。小田島は一審で死刑判決を受け入れ、がんが見つかると痛み止め以上の治療を断り、17年に74歳で他界。“生き続けていること自体が、被害者に対する冒涜のような気がします”と手紙に記す面と、証拠隠滅のため簡単に人を殺してしまう短絡的な面の双方を感じました」

 事件翌年の03年、会長に。70歳を過ぎてまで社長の座にいるのを望まず、かねてから決めていた。欲や名誉といった私心と経営を混同するのが一番危険と考えていた通り、子供や馬渕家に社業を継がせなかった。広大な土地を植物園として市に寄贈した時も、自身の名の公表も表彰も固辞した。

 8月7日、93歳で逝去。

 事件現場の自宅は更地にした後、安心して住める町づくりに活用してほしいと07年、市に寄付。防犯や防災を目的とした施設が開設された。敷地の花壇には突然の悲劇にたおれた妻子への思いをしたためた馬渕さんの手紙が埋められた。

週刊新潮 2026年9月3日号掲載

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