“ゴキブリ投稿”に高市批判の「小姑化」が止まらない……総理の「公私混同」が招く自業自得のサイクル

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 高市政権発足直後から存在した、その評価を巡る「分断」はより深くなっている。一つの原因は、高市氏自身やスタッフらによる発信だろう。例えば、8月22日に高市氏が自身のXに投稿した内容だ。「公邸にはオバケが出る」という噂に答える形で、公邸内でゴキブリが出た際のエピソードが語られている。

〈公邸に引っ越してからも、特にダイニングテーブル下の床は丁寧に拭き、生ゴミは頑丈なフタ付き缶のゴミ箱に入れ、プラスチック容器も洗って分別していましたので、ある日、ゴキブリが足元を走り抜けた時にはショックでした。〉

 最終的には秘書官たちの〈コンバット大作戦〉でゴキブリ退治に成功し、〈ゴキブリは、以後、現れなくなりました。ほっとしましたが、少し淋しいような、悲しいような…。〉と締め括られる。この投稿には15万以上のいいねがつけられ、英国大手紙『The Telegraph』にまで取り上げられた。

 その一方で、リプライ欄には〈ゴキブリの命には寄り添うくせにICC所長は助けないんですね〉などといった批判的な投稿も多くみられる。

 ライターの梶原麻衣子氏は、情報・教養サブスク「新潮QUE」に寄稿した記事【高市批判の「小姑化」が止まらない――その原因も高市総理本人にあるという「負のスパイラル」】の中で、高市氏の公私の区別がつかない発信、発言の数々が、批判者の「小姑化」を加速させ、不毛な対立を生んでいると指摘する。以下、その一部を抜粋してみよう。

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主語が「私」か「高市内閣」

 公私の別のない政治家には問題があるし、それが首相であれば厄介極まりない。筆者が最初に高市氏の公私の認識に疑問を覚えたのは、2024年の総裁選出馬時だ。当時、領空侵犯を行ったロシア軍機に対して自衛隊機がスクランブル発進をし、戦後初のフレア放出という対処に出た。これに対し、総裁選候補だった高市氏はXで次のように発信したのだ。

〈対領空侵犯措置中のフレア使用は初めてだそうです。自民党総裁選の討論の中で、複数の候補者とともに、過日の中国軍の行為への対処が緩すぎて「日本がナメられている」旨の発信をしたことも、多少は影響したのかもしれません〉

 総裁選さなかの一議員の姿勢を、現場の自衛官が忖度して戦後初の対処をするなど、許されることではない。そうした忖度を期待するような物言いは強く批判されてしかるべきだろう。高市氏は立場と領分、自衛隊の指揮系統のあり様がわかっていないのではないかと危惧したが、その危惧は総理になってからも払拭されてはいない。

 実際、政府の取り組みさえも高市総理の発信では「私が」「高市内閣が」が主語になる。「政府は」「内閣として」などの表現が適切ではないか。

 高市総理の「公私の別がついていない」姿勢は、就任後「私」の領域が公的な立場を侵食していることに問題があるが、総裁選勝利時の高市氏は、むしろ「私的な時間、私的な立場をすべてなげうち、総理という職に邁進する」かの意気込みを見せていた。例の「働いて、働いて、働いてまいります」発言である。

 この発言は直後から過労死や過労自殺の遺族らが組織する団体などから批判を受けるとともに、時代錯誤であるとの指摘も相次いだ。

 だが、実際に政権が発足してみると、高市氏は夕方には公邸に戻り、週末は予定や来客もなく終日公邸で過ごすという動静が伝えられるようになった。

 当然、公邸で何もしていないのではなく睡眠時間を削ってペーパーに赤線を引いているのだろうが、「馬車馬のように働く」「寝ていない」と言いながら予定のない休日を過ごすというこのギャップが、政権に批判的な人々の神経を逆なでしている。「働き詰めなど時代錯誤だ」と言っていたはずの人々が「高市はこの土日も何もしていない! 休まず働け!」と言い出しているのである。

 これはこれで矛盾しているわけだが、高市氏の公私の別のない姿勢が政権に批判的な人々の矛盾した行為や態度を誘引している面がある。

 政権批判は大いにすべきであり、国会運営や物価対策よりも国旗損壊罪の制定を優先したあり様など、突くべき点はいくらでもある。だが、これは「公」に類する分野であり、批判するには相応の知識も必要となる。一方で、高市氏自身が分別なく見せてくる「私」の部分が、政権に批判的な人をいらだたせるため、批判の一部は高市氏の「私的な部分」や「些末な部分」に向かうことになる。

小姑化するアンチたち

 批判を恐れずに言えば、特にXで発信される反高市派の政権批判は些末なものが少なくない。「媚びてる」「イキッてる」から始まって、「これ見よがしの手首のサポーター」「震災直後に真珠のネックレスはいかがなものか」「笑顔がない」「態度が悪い」「ガン飛ばし」など、政策ではなく態度や姿勢、振る舞いなどに批判が集まっているのだ。その気持ちはわからないではない。さすがにトランプ大統領の隣で飛び跳ねた姿や、安倍元総理の遺影をクリアファイルに入れて掲げた振る舞いには、筆者も衝撃を受けた。

 とはいえ、些末な言動ばかりをあげつらっても、政権の決定的なダメージにはなりにくい。

 このご時世にこうした表現を使うのは不適切とのご批判を招きかねないのでいささかためらわれるが、現在の高市批判の一部は「批判スタイルの小姑化」が著しいという他ない。「小姑」とは夫や妻の姉妹を指すが、転じて「ささいなことまで細かく、意に沿わなければ機嫌を損ねたり、干渉したりする人の比喩」でもある。高市氏の一挙手一投足に難癖をつけ、けなして見せる態度は、あまりいい表現ではないと承知のうえでも「小姑」のようだとしか言いようがないのである。

 そしてその「政権批判の小姑化」の一因に、他でもない高市氏自身の「公私の別が付けられない態度」がある。高市氏自身の公私の区別があいまいな発信の数々が些末な批判を引き起こしているのだ。

 この負のスパイラルは当面続きそうだが、批判側があまりにこまごまとした的外れな批判を繰り返していると、その反作用も生まれることになる。取り立てて高市支持というわけではないが、高市批判のひどさに呆れてむしろ高市氏に同情的になる人が一定程度出てくるからである。

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「新潮QUE」にて公開中の関連記事【高市批判の「小姑化」が止まらない――その原因も高市総理本人にあるという「負のスパイラル」】では、内閣広報官の参戦による事態の悪化、「お洋服」への言及が多い高市首相への違和感など、高市氏の公私混同発言とそれに伴う批判意見の劣化についてさらに深掘りしている。

梶原麻衣子(かじわら・まいこ) 
ライター・編集者。1980年埼玉県生まれ。中央大学文学部史学科東洋史学専攻卒業。IT企業勤務後、出版社に入社し、月刊『WiLL』、月刊『Hanada』編集部を経てフリー。インタビュー記事などの取材・執筆のほか、書籍の企画・編集・構成などを手掛ける。

デイリー新潮編集部

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