「男はつらいよ」シリーズでブッチ切り1位の人気を誇る“誰もが納得のマドンナ女優”といえば? 寅さんを生きた「渥美清さん」が役者の道に進んだのは“補導”がきっかけだった
現実のマドンナは?
さて、寅さんと言えば、相手役のマドンナにも、ファンの注目が集まるところ。若尾文子、吉永小百合、岸恵子、松坂慶子etc.。それはそのまま、日本の女優史と言って良い。中でも浅丘ルリ子演じる踊り子・リリーは、渥美存命中の48作中、4作に渡りマドンナとして出演。これは歴代最多記録である。2014年、「男はつらいよ」HPでマドンナの人気投票をしたところ、浅丘ルリ子がブッチ切りで1位だった。同時に投票者のコメントには、「寅さんと最後に結ばれて欲しかった」という意見が続出。2人が出会った作品でもある「男はつらいよ 寅次郎 忘れな草」がシリーズ屈指の人気を誇っているのも頷けよう。余談だが、同作で2人は結ばれないわけだが、忘れな草の花言葉は、「私を忘れないで」「真実の友情」である。
さて、渥美清の現実のマドンナについては1969年3月、婚姻時に明らかになった。お相手の正子夫人は24歳。渥美はこの時41歳で、17歳差の夫婦だった。2人が出会ったのは10年前。つまりその時、正子さんは14歳だった。正子さんの父が渥美を贔屓にしていたことから家族ぐるみの付き合いがあった。しかし、あくまで年の離れた兄と妹のような感じで、1年に一度、神奈川県茅ケ崎市に住む正子さんを、東京見物に連れて行ってやるくらいだった。ところが、理想のタイプを渥美が聞いた時、渥美としては、「いいのがいたら、見つけてやろう」という気持ちだったが、返答は予想だにしないものだった。
〈「できればあたしも両親もよく知ってる人……」
「そんなのいるのか?」
「うん……たとえば渥美ちゃんみたいな……」〉(「ヤングレディ」1969年3月24日号)
渥美は本気にしなかったが、正子さんが二十歳を越えた時、(そういえば昔、動物園に連れて行く約束したな)と、久々に会う時に打診すると、答えはこう返って来た。
〈もう動物園なんて行ってられないわ、もうお嫁に行かなければならない(年齢)〉(「週刊平凡」1969年3月20日)
ここで初めて渥美も異性として意識し、4年後の結婚に至ったのだった。
亡くなる時、渥美は夫人と、2人の子どもに言った。
「いいか、全て骨と灰になってから皆さまにお知らせしろ」
公私を分けて来た渥美の美学だった。彼の自宅の場所も、子どもの顔も、以降の葬儀で初めて知ったという関係者ばかりだった。
しかし、夫人に関しては、数年に1度、その姿が人づてに報じられることがある。それは例えば、芸人時代の仲間が墓参りに行くと、夫人が先客として手を合わせていた姿。渥美の息子も後年インタビューで、「久々に実家に帰ったら、母が遺影に話しかけていた」と語る。渥美に惚れ抜いていたのだった。2008年、寅さんの故郷である柴又のある葛飾区で倍賞千恵子がコンサートをおこなった時もかけつけ、楽屋で倍賞とともに、涙を流している。
そして、浅丘ルリ子がコンサートに出た際も、訪れた。楽屋でこう言ったという。
「お会いしたかったです。寅さんもあなたに見込まれるような男で、本当に良かった……」
そういって涙を流し、用意して来た花束を渡した。
それは、忘れな草だった。
※1:日本テレビ系「知ってるつもり?!」1998年9月6日放送分より。
※2:当時の地名で言えば、東京府東京市下谷区。
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