夏休みの新幹線マナーが最悪だった…日本人から急速に「相手への気遣い」が失われている理由

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譲ってもらうのは当然なので礼はいわない

 あるいは、新幹線の車内の通路でだれかとすれ違うとき。これも今年になってからのことだが、通路は狭いので、筆者はあえてデッキまで下がって、向こうから若いカップルを通した。

 ところが、カップルの男女どちらも、譲ってもらうのは当然とばかりに礼をいわず、会釈すらせず、平然と通っていった。

 このときも筆者は驚き、周辺の何人かに話したのだが、だれもが日常的に同じ体験をしていた。譲ってもらうことを当然と受け止め、お礼をいう発想すらない人が増えているのではないか、という。

 筆者はこれについても、その後、観察してみた。すると、壮年の男性も、中年の女性も、少女と呼べるほどの若い女性も、みな筆者を下僕のように下がらせ、待たせたまま、大名行列のように頭も下げずに通っていくのだった。

 東海道新幹線にはかつて、1編成につき4人の車掌が乗っていたが、それが3人に削減され、2018年以降は2人にまで減らされている。ほかに社内サービスなどを行うパーサーが2人(または1人)乗っているが、かつてより乗員は少ない。だから、ほかの乗客のことで相談や苦情をいいたくても、告げる相手がなかなかつかまらないのだ。

「相手への気遣い」ができない乗客が目に付くようになる一方、経営効率化や人出不足などを背景に、新幹線の人的サービスも縮小している。その結果、新幹線からは「おもてなし」の精神がどんどん減少している。このため悪い意味の相乗効果が生まれている、とでもいえばいいだろうか。乗客同士のちょっとした行き違いが解消されにくくなり、不愉快な気分を味わう機会が増えている。これが「おもてなし」の文化が根づいているとされるニッポンの、ひとつの現実である。

子供の欲求を満たす教育の弊害

 残念ながら、こうした傾向は今後、改善されることはないのではないだろうか。近年、「ほめて育てる教育」が急速に浸透したこともあり、教育現場にも家庭にも、子供の欲求を満たそうとする傾向が浸透しているからである。

 自己肯定感を育むためにも、子供の欲求をある程度満たすことには意味がある。だが、自分の欲求が満たされることに慣れすぎた子供は、他者の気持ちを考えられなくなってしまう。自分の欲求を満たすために、相手がしてくれたやさしさや労力に思いを致すこともできなくなってしまう。つまり、親が先回りして子供の欲求を叶えようとし、周囲に譲らせるようにすればするほど、子供は社会に出てからも、周囲が自分に配慮するのが当然、というゆがんだ意識をいだくようになる。

 この傾向は、教育現場や親が子供に過剰な「おもてなし」をしている、と言い換えることもできるだろう。しかし、こうして周囲から「おもてなし」を受けることに慣れるほど、子供たち自身は「おもてなし」の心遣い、すなわち「相手への気遣い」から遠ざかってしまうのだ。なんとも皮肉な話ではないか。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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