家を飛び出して我が子を探した…「津川雅彦さん」人生最悪の2日間 「良きパパ」に変えた74年「長女誘拐事件」とは

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

新聞社への激しい怒り

 ところが、予期せぬ展開に。

「『どうせ死刑になるんだからと開き直って、犯人がお嬢さんの居所を吐かない』と、警察の人が言う……。娘はもう殺されているに違いない。胸の中に手を突っ込まれてかき混ぜられているような、非常に辛い思いで、その後の時間を過ごしました。結局、男には前科があったため、指紋から彼の自宅が判明し、その家で16日の午後7時頃、娘の無事が確認されました。男には奥さんと、真由子と同じ乳飲み子がいて、奥さんがうちの娘の面倒も見てくれてて、真由子は左頬を蚊に刺されただけで帰ってきました」

 事件解決後、新聞1社が津川さんの激しい怒りを招いた。

「各社、報道協定を守ってくれ、犯人逮捕まで記事にすることこそありませんでしたが、逮捕後、東京新聞は、『役者は子どもの写真もマスコミに撮らせて宣伝に利用する。破廉恥なタレントの子どもは誘拐されても当然』と書いた」

 と、2016年当時も憤懣やるかたなく語る様からは、その怒りのすさまじさが伝わる。実際、事件解決当時の津川さんはテレビの生中継で編集部に電話で抗議を行うほどだった。

ゴルバチョフに直談判

 その一方で津川さんはある「変身」を遂げた。ギャンブルや夜のクラブ遊びを慎み、「世界一のパパ」を目指すと決意したのだ。

「まず、木製のおしゃぶりを娘に与えようとしたんだが、国内では見つからず、自分で木製玩具を輸入する店を始めました。もうひとつ、スコットランドのお城を買って、北海道に移設し、サンタの国を造ることにもしたんです」

 後に「津川さんといえば……」と語られるおもちゃ輸入販売会社「グランパパ」は、1978年に1号店がオープンした。

 サンタの国計画は、購入したロックハート城を解体し、その石を貨物船とシベリア鉄道で北海道まで運ぶというもの。しかし、時は昭和の末期である。シベリア鉄道が走る地域はまだソ連で、無事に運搬できるかは不透明。そこで津川さんは大胆な手を打った。

「ちょうど、知人の政治家がゴルバチョフに会いに行くというので、無事、石を運搬できるようお願いしてほしいと、伝言を託したんです。ゴルバチョフの答えは……『OK』でした」

 1988年、7カ月かけて解体された城は、総重量約600トンの石となって日本に到着したが、城再建費用の目処が立たずに計画は頓挫してしまう。再び計画が動き出したのは90年代に入ってから。石を買い取った群馬県の企業が同県で復元し、現在は「大理石村・ロックハート城」として地元の顔となった。

世界一のパパになれたと自負

「グランパパ」は全国20以上の店舗を構えた時期もあったが、創業30年の頃にデフレの影響を受けた。津川さんは5億円以上の借金を抱えて経営権を手放し、オンライン専門店と現在は「永久名誉顧問」にクレジットされている。

 父として、実業家としてかなりの激動人生。それでも2016年の津川さんは、好々爺の顔で事件を振り返っていた。

「娘は『パパのようなパパは他にいない』と言ってくれていて、世界一のパパになれたと自負しています。今では、誘拐事件が起きて良かったとさえ思っているほどです」

 妻の朝丘さんは2018年4月27日に82歳で死去。津川さんもその4カ月後、同年8月4日に78歳で世を去った。真由子さんは女優・ジャズシンガーとして活躍している。

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。