夜の高速で轢死した「両手に手錠の12歳少女」…ついに逮捕された「34歳男」 警察会見で報道陣が驚きの声を上げた“納得の理由”
会見でどよめいた報道陣
Aさんの携帯電話の通話記録と中国自動車道のNシステムなどから、捜査本部は兵庫県に住む34歳(当時)の男Cに目星をつけた。事件発生から約1カ月半後の9月8日には逮捕にこぎつけたが、同日夕方に開かれた会見では報道陣から驚きの声が上がった。Cは現役の中学校教諭だったのだ。
教師歴13年、専門は社会科。当時の勤務校によれば、Cは前の勤務校で1998年5月から1999年3月まで休職したあと、同年4月に転任してきた。逮捕当時の報道では多くの生徒が「喜怒哀楽が激しい」と指摘しているが、「会話の途中で突然怒り出す」といった証言からは情緒不安定という表現が適している。さらに「女子生徒の周囲をうろついている」という証言もあった。
そのうち「悩みがち」な様子になり、2001年6月頃からまたしても休職。が、テレクラを介した悪事はむしろ活発だった。獲物は常に10代の少女。援助交際をエサにおびき寄せると催涙スプレーと手錠で自由を奪い、動画撮影やわいせつ行為、カネを盗むという手口を繰り返していたのだ。もちろん、約束した援助交際のカネは一銭も払っていない。
事件後にも催涙スプレー購入
AさんはCの新たな獲物だった。事件当日が初対面だった2人は、Cが運転する車でホテルを探しながらしばらく走行。その間、Cは催涙スプレーと手錠を使ってAさんを車に固定し、家族や友人に“無事”を知らせる偽装電話をかけさせた。今回はいつもと違い、最初から拉致が目的だったからだ。
だが、車が中国自動車道に入った際、Aさんは激しく暴れて抵抗。手錠の固定が偶然外れたためCが車の速度を落とすと、Aさんはドアを開いて路上に転落した。その結果が第1回の冒頭にあった悲惨な事故である。なお、Aさんをひき逃げしたトラックの運転手はCの逮捕後に警察の聴取を受けたが、そのさなかに自死している。
調べの結果、Cは事件の約3週間後にも催涙スプレーを購入し、「ほとぼりが冷めたら」次の獲物を物色しようとしていたことも判明した。検察はAさんへの監禁致死と他の少女たちへの強盗でCを起訴。公判でのCは監禁致死を全面的に認めたが、強盗については犯意を否認した。
検察は「殺人に匹敵する」と厳罰を求め、懲役12年を求刑した。が、神戸地裁の判決は懲役6年。検察の控訴は2002年11月に棄却された。
「怖くてまともには見られませんでした」――。第1回【「両手に手錠の12歳少女」はなぜ“夜の高速道路”で轢かれたのか 第一発見者のトラック運転手が見た凄惨な事故現場】では、事件に至るまでの経緯を伝えている。
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