「騙されているのじゃないかと」…再婚相手2人殺害「中洲スナックママ連続保険金殺人」 被害者の母が明かしていた“様々な略奪婚工作”

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息子には考え直すように言った

 だが、昭和60(1985)年10月、夫とは新居が完成して間もなく離婚した。原因は、夫がギャンブルで1000万円を超える借金を作ったことだった。ここが運命の分かれ道だったのかもしれない。洋風建築の自宅を設計したのが、彼女の2番目の夫となるBさんだったのだ。

 彼女はその自宅でピアノ教室を開いていた。

「とても明るくて、美人で社交的な奥さんでした。生徒さんも大勢通っていましたよ」

 と、近所の住人はいう。

 彼女の離婚後、しばらくすると、Bさんもこの家に住むようになる。Bさんは長崎県壱岐郡の出身。福岡県内の高校を卒業後、建築関係の専門学校を経て住宅販売会社に勤めていた。Aより4歳年下。当時、Bさんには妻がおり、幼い子供も3人いた。

「そもそも、息子の再婚には反対でした。当時の嫁と別れると聞いた時はビックリしました」

 と、Bさんの母親は話す。

「息子には考え直すように言ったのですが、あの人に溺れてしまったのか、言うことを聞きませんでした。それに、あの人は当時の嫁の後をつけたり、無言電話のような嫌がらせをしたりと、様々な離婚工作をしていたようです。結局、嫁も息子に愛想をつかしてしまい、離婚となってしまったのです」

不動産バブルの波に乗って順風満帆

 AはBさんと昭和62(1987)年8月に再婚する。Bさんは次女を引き取っていたが、まもなく実家に預けた。Aは2人の子供を連れていた。Bさんの母親は言う。

「息子とあの人が再婚する時、福岡で彼女とその子供を含めて一度だけ食事をした事があります。キレイな女性だというのが第一印象です。スリムでスタイルもよく、華やかな感じでしたが、とにかく服装が派手だったことを覚えています。私は、仕方なく再婚を認めましたけど、当時から騙されているのじゃないかと思っていたのです。息子は大人しくて、まじめな子でしたから」

 時あたかもバブルの真っ盛りだった。一級建築士の資格を取ったBさんは、平成2(1990)年に有限会社を設立した。経営は、不動産バブルの波に乗って順風満帆。Aは、

「社長夫人になるのでピアノ教室はやめます」

 と周囲に言って、教室を閉めた。この頃が、Aにとっては夢が叶った絶頂期だったかもしれない。

 平成4年3月には、Bさんとの間に長女が誕生。同年7月には、同じ町内の100坪ほどの土地を購入し、3階建て洋風建築の豪邸を新築。ここを会社の事務所兼自宅とした。家政婦を雇い、子供には家庭教師を付けた。だが、そうした優雅な社長夫人の生活は、バブル崩壊とともに消滅していったのだ。

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 Bさん殺害後は複数の男と乱れた関係に――。第2回【睡眠薬を飲ませ腹に包丁、風呂で頭を押さえ溺死…再婚相手2人殺害「中洲スナックママ連続保険金殺人」 公判での呆れた“責任逃れ”】では、無期懲役が確定するまでの過程を伝える。

デイリー新潮編集部

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