長男を誘拐されバッシングと人気凋落…「ざんす」で一世を風靡した「トニー谷さん」の悲憤慷慨 復帰後に“つい叫んだ言葉”とは
「イヤミ」のモデルに
楽器のようにかき鳴らすソロバン、「ざんすざんす」と少し高めで艶のある歌声。慇懃無礼な芸風で戦後間もない日本に賛否を巻き起こしつつ、「さいざんす・マンボ」などのヒットも飛ばしたボードビリアン、トニー谷さん。赤塚不二夫さんの漫画「おそ松くん」で「イヤミ」のモデルにもなった人物としても知られている。80年代後半に大瀧詠一さんがプロデュースしたベスト盤で知ったという人も多いだろう。
人気の絶頂を極めたトニーさんだが、表とプライベートには厳密な線引きがあったという。舞台裏でも気が強く“傲慢”とも称されたが、長男の誘拐事件によって状況は一変。激しいバッシングに遭った。そんなトニー谷さんが69歳で死去したのは1987年7月16日のこと。その素顔と最期を親族らの証言で振り返る。
(以下、「週刊新潮」1987年7月30日号「墓碑銘」を再編集しました。文中敬称略)
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【貴重写真】縛られた女性を「眼鏡とちょんまげ」の姿で…トニー谷の爆笑舞台
家では訪問客に対しても“大谷”
芸人というのは、マイクの前ではおどけて観客を笑わせても、一歩楽屋へ引っ込めば顔が引き締まる。家庭へ戻れば別人。仕事と日常生活との落差が大きい。
「レディース・エンド・ジェントルメン・エンド・おとっつぁん・おっかさん……」と、ソロバン片手の独特の司会で、戦後芸能界の人気者となったトニー谷(本名・大谷正太郎)は、一方では、
「非常にプライバシーを大事にする人でした。家では訪問客に対しても“大谷”で通した」(知人)
ところが、昭和30(1955)年7月15日に起きた長男(当時6歳)の誘拐事件で、トニー谷のプライバシーは天下に曝され、彼の素顔が全国注視の的となった。その日、学校の帰りに長男が行方不明になり、直後、身代金200万円を要求する脅迫状が届いて、戦後初の大型誘拐事件となったのである。
子供は無事に戻ったが
当時は報道協定もなく、マスコミは大々的に報道した。野次馬が大谷家を取り囲み、偽犯人からの電話や、日ごろ快く思わない人からの嫌がらせ電話、手紙が舞い込んだ。トニー谷は、テレビで犯人に訴えかけたが、その口調が、視聴者の反感を買ったりした。コメディアンの習性からかキザな印象を与えたのだ。むろん、トニーは真剣だった。
当初、「落ち目になったトニー谷が人気挽回のために打った芝居だ」といった風評まで伝わり、また、怨恨による誘拐説もあって、捜査陣が、彼の結婚以前の女性関係や、芸能界での行状を洗い、それが報道された。なぜか家の中の会話が外部に筒抜けだった。
トニー谷は「誰も信じられない。みな興味本位だ」と悲憤慷慨した。1週間たって、長野県に住む38歳の男が犯人として逮捕され、子供は無事戻った。しかし、神経をすり減らしたトニーは、以後、マスコミや芸能界と距離を置くようになる。
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