森下翔太は「原辰徳の再来」、佐藤輝明と大山悠輔は甲子園届かず…球宴を彩る虎戦士の“球児時代”
球宴の舞台に立つ虎戦士たちにも、甲子園を夢見て白球を追った夏があった。
7月28、29日の両日に開催される「マイナビオールスターゲーム2026」。球団史上初のリーグ2連覇を狙う阪神からは7人が出場する。助っ人のドリスを除く6人は、高校時代に現在の本拠地である甲子園を目指し、日々熱戦を繰り広げていた。【久保田龍雄/ライター】
その真っすぐを打てなかった
球界のトップスターとして球宴を彩る虎戦士6人には、甲子園を目指して戦った忘れがたい夏がある。
まずは、ファン投票で昨年に続いて12球団最多得票を集めた森下翔太である。
東海大相模では1年夏からいきなり4番を任され、「原辰徳の再来」とも言われた。3年春の2018年に甲子園初出場。3番打者として4打点を挙げ、4強入りに貢献している。
最後の夏、北神奈川大会では、1年生の西川僚佑(元ロッテ)が4番に座り、森下は公式戦で初めて2番を打った。
打順に関係なく長距離砲としての役割を託された森下は、2回戦の厚木東戦で右中間フェンス直撃の決勝三塁打を放つなど、豪快な打撃をアピールした。3番に戻った準々決勝の相模原戦では、2点ビハインドの9回に横浜スタジアムの左翼席へ高校通算57号となる起死回生の同点2ランを放ち、9対8の逆転サヨナラ勝利につなげた。
準決勝の慶応戦では、生井惇己に4打数1安打2三振に抑えられた。9回無死一塁で空振り三振に倒れた打席が、高校最後の打席となった。
「真っすぐが来るのはわかっていた。その真っすぐを打てなかった」(森下)
プロ志望届を出せば4位前後の指名が予想されたが、「打撃だけではなく、守備もうまくなりたい」と中大に進学。4年後、阪神の1位指名を勝ち取った。
お前の球をもっと受けたかった
選手間投票で9年目の初選出を果たした高橋遥人は、静岡・常葉橘2年時の2012年夏に背番号10の2番手投手として甲子園に出場している。
チームは開会式直後の第1試合で福井工大福井に2対4で敗れたが、5回途中からリリーフした高橋は4回1/3を3安打無失点。敗戦の中で、きらりと光る投球を見せた。
翌2013年、最速142キロと球威を増し、県内屈指の左腕に成長した高橋は、2年連続の甲子園を目指した。ところが、初戦から制球に苦しみ、なかなか調子が上がらない。
4回戦の東海大翔洋戦でもスライダーが決まらず、甘い直球を狙い打たれ、8回無死で降板した。チームは2対5で敗れ、高橋は「最後まで納得いくボールが投げられなかった」とうなだれた。
ダメ元でプロ志望届を出したものの、ドラフトでは指名漏れ。地元の軟式野球チームでプレーすることも考えたが、監督の勧めで亜大に進学し、4年後に阪神から2位指名された。
虎の“最強投手陣”を支える坂本誠志郎は、履正社時代の2年夏、2010年に1年先輩の山田哲人(現・ヤクルト)とともに甲子園に初出場した。8番捕手で出場した1回戦の天理戦では3安打を放ち、勝利に貢献している。
翌2011年は主将としてセンバツに出場。準々決勝の智弁和歌山戦では先制適時打を含む2安打3打点を記録し、4強入りの立役者となった。
そして、「大阪桐蔭を倒して甲子園に行こう」を合言葉に臨んだ最後の夏、履正社は大阪大会準決勝で最大のライバルと顔を合わせる。精鋭揃いの大阪桐蔭を前に、エース・飯塚孝史が3回までに5点を失った。打線も2年生右腕・藤浪晋太郎(現DeNA)を打ち崩せず、1対5で敗れた。
高校時代から“気配りの人”だった坂本は試合後、4回以降を無失点に抑えた飯塚に「今日のピッチングが一番良かったぞ。お前の球をもっと受けたかった」と最大の賛辞を贈っている。
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