日本人離れした“2人の天才”を結びつけた「ヒットさせよう!ガツンと行こう!」…デビュー50周年「ゴダイゴ」誕生秘話
「ガツンと行こう」
タケカワにも「一曲」を聞いた。小6で観たビートルズの映画「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」の「Can’t Buy Me Love」だった。
中2の時には、日本語の歌詞を英語に訳した曲を作った。それが納得できず、3年間は英語の歌詞の曲を作ることを封印したが、一変するのが高2の英語の時間のこと。歌詞とメロディーが降ってきて、それから授業中に何十曲も英語の曲を書いた。
75年、ゴダイゴ結成の前年、タケカワは高校時代から書いた全曲英詞から選んだ曲のソロアルバム「走り去るロマン」をリリースした。
そんな両者をくっつけたのは、音楽プロデューサーのジョニー野村。アメリカから帰国したばかりのミッキー、野村、タケカワで会うことになった。
ミッキーはミッキー吉野グループとして「走り去るロマン」のバックも務めながら、アメリカ時代から考えていたグループ、ゴダイゴのデビューアルバムとして決まった「新創世記」に取り掛かる。メンバーは4人。しかし、肝心のヴォーカルが決まっていないなどモヤモヤする状況が続いていた。一方のタケカワは一人でやっていて、次の展開が見えない……。
思い至ったミッキーがタケカワに電話した。
〈ボクの方も4人でやっていてもなかなかヴォーカルが決まらないし、タケもひとりでやっていてもパッとしない状況だった。そこで“両方でしょぼしょぼやっていてもしょうがないじゃないか、じゃあ、これ一緒のグループにしようか、それでヒットさせよう!ガツンと行こう!”って言ったら、タケも“そうだよね”って。状況を見ていてあいつも感じていたと思うんです〉(『人生の友だち』から)
「ガツンと行こう」の掛け声がグループ結成の決め手だった。
ミッキーの戦略
「ガンダーラ」のリリースは78年だから、76年のアルバム「新創生記」からは2年余りある。
ミッキーが模索したのは日本語で歌うシングルだった。英語の詞を書いてきたタケカワには日本語の歌に抵抗があったが、「とりあえずシングルだけは日本語でやろうよ」(『人生の友だち』から)という話になり、リリースした7枚目の「ガンダーラ」が大ヒットした。
ミッキーの戦略はこうだ。ザ・芸能界はノーでもカップス時代のノウハウを注ぎ込む、拓郎や陽水らフォークの人はテレビに出ないから逆に大量露出する――これが当たった。ヒットしたら二の矢、三の矢を放つ……バークリー時代に教わった理論も功を奏した。
大人気だったドラマ「西遊記」の劇伴(劇中音楽)に関していえば、「リトル・リチャードの『Send Me Some Lovin’』に代表されるようなロックンロールの自由とエネルギーがあった」とミッキーは語る。
85年に解散、99年のゴダイゴ復活と紅白出演、06年に再始動し、今に至っている。タケカワの50周年記念アルバムは英語詞と日本語詞で録音した40曲。それを記念したゴダイゴのコンサートは老若男女で満員になった。
音楽のあらゆる要素を集約した伝説的グループがゴダイゴということか。




