「ずうっと坊ちゃん1人」…誰も知らなかった“自宅出産の年子4人” 88年「西巣鴨子供置き去り事件」で2人が死亡した理由と母子のその後

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誰一人気づかなかった4人の年子

 本来なら、被害者であるべき14歳の少年を、妹殺しという加害者にまで追い詰めてしまった母親の責任放棄の罪は重い。

 Aの実家をよく知る人は「両親とも、そりゃあ絵に描いたようなまじめな堅い人」という。地元の中学を卒業したAは、20歳の頃、男性と同棲。その後、男性のつくった借金90万円を実家に押しつけて、実家を飛び出たまま、都内を転々として来た。

 窃盗、売春などの前歴があるが、この間、5人の子供を産んでいて、父親は少なくとも3人はいるという。しかも、長男以外の4人は全員を南大塚のマンションで自宅出産。昭和57年から60年の4年間は毎年休みなく産み続けてきたことになる。周囲が気づかなかったのだろうか? 南大塚のマンション大家さんは、

「うちのマンションに居た時はずうっと坊ちゃん1人。女の子なんて居ませんでした。そういう契約だったんですからね」

 Aと付き合いのあった近所の奥さんも、

「派手な雰囲気の人でしたね。何でも、大学を出て、三越の外商部に十数年も勤めているということで、いかにも頭が切れそうな感じもしました。息子さんのことが自慢で、成績はトップクラスだとか、今日は父兄会だったとかいってましたが、一度も連れてきたことはありません」

 年子を4人も産んだのに、近隣でそのことに気付いたのは誰一人いなかった様子なのだ。

子供を引き取ると誓約

 生き残った3人の子供たちには、早速戸籍が作成されることになった。しかし、三女を死亡させた長男は少年鑑別所に送られた後、養護施設に引き取られた。また、長女と次女は別の施設で暮らすことになった。

 Aは保護者遺棄と同致傷罪に問われ、裁判にかけられた。わずか4回の公判後、昭和63年10月26日に判決が言い渡された。

 東京地裁は「愛人と同棲するため、4人の子供を見捨てるという無責任で、自己中心的な犯行。母親としての責任放棄は、厳しい非難を免れない」としたものの、懲役3年、執行猶予4年。これはAが公判において、同棲相手と結婚して子供を引き取ると誓約しており、その点を汲んでの“温情判決”だったのだという。

 子供たちの保護にあたった東京都児童相談センターによれば、判決の約2カ月後にAとその結婚相手が弁護士同伴でセンターを訪れ、婚姻証明書を提示。「娘2人をできるだけ早く引き取りたい」と話したという。センターでは反対意見もあったが協議を重ねた末、2人を帰すことに決めた。

「長男の場合は小さい子と違って時間が必要です。今年になって両親は長男にも会いに行って“頑張りなさいよ”というようなことは言っているようですが、関係を修復するのは容易ではないでしょうね」

(以上、「週刊新潮」1988年8月4日号・1989年5月4日号掲載記事より)

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 挨拶すると顔をそむけて部屋に入ってしまった――。第1回【警官が部屋に踏み込むと「毛布にくるまった女の子が2人」…88年「西巣鴨子供置き去り事件」 誰も知らなかった“14歳兄の未就学”と“妹の存在”】では、警官が室内に入ったときの様子や近隣住民のコメントなどを伝えている。

デイリー新潮編集部

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