日本人は江戸時代から50年足らずで「ネオ・バロック様式の東宮御所」を建てた…江戸東京博物館の「洋館展」企画担当者が語る「西洋建築」の抗しがたい魅力
コンドルの人柄と教育力
――日本の洋館を根付かせたのが、お雇い外国人のジョサイア・コンドルと、その弟子にあたる辰野金吾、片山東熊、曾禰達蔵、佐立七次郎という4人の建築家です。
米山:日本人建築家が活躍できたのは、師のコンドルが素晴らしい人だったためだと思う。コンドルがいなかったら、今の日本の建築界はまったく別物になっていたに違いありません。コンドルの人柄もそうだし、教育力もありました。
コンドル以前のお雇い外国人は、日本に対するリスペクトがあまりありませんでした。対するコンドルは、日本に来たくて来たんです。日本文化に関心があり、河鍋暁斎のもとで日本画を学んでいますし、後に日本庭園を海外に紹介したりしています。性格も温厚で、日本に対する敬意がみられたのが大きかったですね。
――コンドルは年齢も辰野たちとそれほど変わらなかった。年齢がほぼ変わらないなら、講師というよりは、部活の先輩みたいな感じですね。
米山:コンドルも若手で、辰野たちと一緒に切磋琢磨できたのもよかったと思うし、教え方が上手かったんですよ。コンドルは1880年(明治13)年に「開拓使物産売捌所」を完成させ、それを教材代わりにして洋館のいろはを教えているんです。コンドルから学んだ日本人たちの卒業設計も、今回展示しています。
――展示会の最後で紹介されている東宮御所は、明治のほぼ最後に完成した建物です。明治の集大成と位置づけて良いわけでしょうか。
米山:おっしゃる通りです。展示室は最初、幕末の横浜の海の風景から始まるわけだけれど、あの時は誰一人、日本人は洋館なんか知らなかったし、造れなかった。でも、展示室を見ていくと、たった40年ちょいでここまで作れるようになったんだ、ということを実感できるはずです。ぜひ、首をひねってほしい。「本当にたった40年なの?」ってね(笑)。
東宮御所は明治の集大成
――建築には様々なドラマがあります。例えば、東宮御所を設計した片山は、明治天皇に自信満々に写真帖を見せたら、「贅沢だ」と言われて床に伏した……という話が伝わっているそうですね。
米山:だいぶドラマティックに脚色されている気はするけれど、片山が落ち込んだのは確かだと思うんですよね。だって、明治天皇のために何十年も仕事をしてきたのに、気に入ってもらえなかったわけだからね。片山にとっても、人生をかけた作品だったと思いますから。
東宮御所のような破格の建築が計画されたのは、当時の政府の関係者に、洋館学習の成果をこれに象徴させるんだという思いがあったからでしょうね。片山の指揮の下で、明治を代表する芸術家が総動員されて造られていますから。
――にもかかわらず、その後はほぼ使われていないそうですが。
米山:明治天皇の好みでなかったのは確かでしょうね。金と歳月をかけすぎているわけだから。片山が落ち込んだという話があったけれど、この時代の建築家は、時代の空気感もあって、相当精神力が強くないとやっていけなかったはず。
日本人建築家4人のうち、佐立はだいぶ前に脱落してしまったけれど、大正時代にこそふさわしい優しさを持ちすぎていたんだと思いますよ。
――東宮御所の展示のところにある写真帖は、片山が明治天皇に見せたものなのでしょうか。
米山:そのものというわけではなく、何冊も作られたものの一つです。献上した写真帖と同じ装丁だったかはわかりませんが、いずれにせよ貴重なものですね。
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