“試合の送迎”は当然で“大一番には有給休暇” 「高校球児の親」はどれほど大変なのか
寮費を含め毎月10万円ほどを彼のために支払う生活
ksk氏の長男は小学3年から少年野球を始め、小学6年生時には唐津でも名前の知られたホームランバッターとなった。中学ではボーイズリーグに鳴り物入りで入るも、ケガの影響でなかなか実力を出せない状態だった。ksk氏は長男から「バッティング動画を撮ってほしい」と懇願され、練習時と試合時はフォームが撮れる位置をキープして動画を撮っては二人で見返してスイングの矯正をするようになった。
チームの指導者は個々の選手に任せるタイプであり、指導を押し付けなかったため、ksk氏が長男のアドバイザー的な存在になっていく。とはいっても、その頃小学5年生の三男がリトルリーグの中心選手になっており、同氏はチームスコアラーに就任していた。そのため、常に三男の試合に行かざるを得なかった。普段から仕事があるのに加え、三男の野球にどっぷりとハマり、長男への助言もするという実に忙しい生活を送っていたのである。
そんな状況にあったものの、長男は県内有数の強豪私立校のスカウトの目に留まり、「Sランク」に次ぐ「Aランク」として、高校に進学。いわゆる「特待生」である。学校からの補助はあったものの、寮費を含め、毎月10万円ほどを彼のために支払う生活が始まった。
オレは監督から全く好かれてない
ところが、ここからが人間臭い話になってくる。長男は才能はあったものの、監督との関係が良くなかった。プロ野球でいうところの「一軍」である「Aチーム」ではなく、二軍扱いの「Bチーム」に所属させられた。そこで打率・打点ともに見事な成績をあげていたのだが、Aチームには上がれない。保護者からは「なぜ彼がAチームに行かないのだ!」といった声もあったという。ksk氏はこう語る。
「長男は人間的に他に同調されないタイプ。また指導者に対しても納得がいかないならNO! と言うタイプです。実際『オレは監督から全く好かれてない!』と常に言ってました。本来、レギュラーになっても良かったと思いますが、最後は代打で出られて良かったです。四球の可能性がありましたが、野球人生最後と決めていたのでしっかり振れ、安打性の打球を打てて良かった、相手の内野手の守備が見事だったと言ってました」
このように同氏は振り返るが、保護者の役割はどのようなものか。ksk氏は送り迎え等はするものの、公的な役割としては、3男のボーイズチームの「副会長」である。一方、妻は次男の高校の「会計係」をしつつ、3男の「道具係」「車担当」「会計担当」を担っており、ksk氏は「はっきり言って俺より嫁のほうが何倍も大変だったと思います」と語っている。
ここからは次男の最後の夏を終えた同氏の感慨を紹介する。正直、高校野球に関わらぬ者からすれば「ここまで野球に捧げる中年人生があるのか!」と思うのだが、それだけ野球は親にとっても重要なものであると理解できた。さらに、三兄弟の性格の違いにいかに向き合うか? といった点についても苦労したことが窺える。
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