横浜と東海大相模が4回戦で激突! 原辰徳、松坂大輔、菅野智之らが刻んだ“神奈川頂上決戦”の記憶

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勝負してほしかった

 翌1970年夏、東海大相模は初の全国制覇を達成する。横浜も1973年春、プロ注目の剛腕・永川英植(元ヤクルト)を擁して初の全国制覇を果たした。70年代以降、両校は神奈川を代表するライバルとしてしのぎを削ることになる。

 1974年夏には、原監督の長男で1年生の原辰徳(元巨人)が5番を打つ東海大相模と、春夏連続甲子園を狙う永川の横浜が決勝で激突した。

 永川は原を4打数無安打に抑えるなど、被安打4の力投を見せた。しかし、2回に味方の失策と悪送球などで3点を失ったことが響き、東海大相模が4対1で勝利した。

 東海大相模は1977年を最後に、長く夏の甲子園から遠ざかる。80年代、90年代は横浜が1998年の春夏連覇を含む全国制覇3度と優位に立った。

 そんな中で、両校の対決が久しぶりに大きな注目を集めたのが、1996年夏の準々決勝である。

 プロ注目のスラッガー・森野将彦(元中日)が4番を打つ東海大相模は、1点を追う4回、森野が右越えに逆転2ランを放つ。横浜のエース・松井光介(元ヤクルト)に、大会20イニング目で初失点を記録させた一打だった。

 その後、一発を警戒した横浜バッテリーは、6回、8回のいずれも2死無走者で森野を敬遠した。1打席目もカウントを悪くして歩かせており、本塁打以外の打席ではストライクを1球も投じることなく、徹底的に勝負を避けた。

 この策が功を奏し、横浜は5対2で逆転勝ち。一方の森野は「勝負してほしかった」と悔し涙にくれた。

悪夢のサヨナラ暴投

 翌1997年も両校は準々決勝で顔を合わせた。

 横浜は2年生・松坂大輔(元西武など)が先発。伸びのある速球にスライダーを織り交ぜ、6回まで無安打無失点に抑えた。

 打線も3回に3番・小池正晃(元DeNAなど)の中前適時打で先制。3点リードの5回には決定的な5点を奪い、柱不在の相手投手陣を打ち崩した。

 だが、9対0の7回、「記録を意識した」松坂は、失策で出した走者を一塁に置いて、榑松直記に初安打となる左越え2ランを浴びる。県内随一の打線を誇る東海大相模は、8回に1点、9回に2点を返したが、反撃はそこまでだった。横浜が10対5で打ち勝った。

 前年秋の県大会準決勝で東海大相模打線にKOされていた松坂にとっては、「絶対勝ちたかった」相手への雪辱でもあった。ただ、次戦の準決勝、横浜商戦では悪夢のサヨナラ暴投で甲子園を逃している。

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