「ギリシア彫刻のような美貌の少年は三島由紀夫と出会い…」 美輪明宏さんを愛した男たち 「寺山修司も表現者として認めていた」
同性愛者が集うサロンで三島由紀夫と出会った美輪さん
6月20日に亡くなったシャンソン歌手で俳優の美輪明宏さん。その数奇な人生を彩ったのは、非凡な才能を持った男たちだった……。
(2026年7月5日に「新潮QUE」で配信した記事をもとに再構成しました)
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10代でレコードに触れてシャンソンにのめり込み、歌手の道を志すようになったという美輪さん。16歳で東京の国立音楽高等学校に転入するために上京し、ほどなく人生に大きな転機が訪れる。“美少年募集”をうたう新聞広告に応募し、銀座4丁目交差点付近にあった「ブランスウィック」で働き始めたのだ。
「店は表向きこそ喫茶店でしたが、米軍兵士や文化人の同性愛者らがひそかに集うサロンでした。美輪はそこで、当時『仮面の告白』で注目を集めていた三島由紀夫と出会います。三島から“何か飲むか”と声をかけられた美輪は“芸者じゃありませんから結構です”と切り返したそうです。その大人びた受け答えが強烈な印象を残したのでしょう。三島はその後、足繁く店に通ったといいます」(芸能デスク)
ちなみに、三島の小説『禁色』は、ブランスウィックに着想を得ている。
「寺山の台本を書き換え」
片や、美輪さんを舞台俳優として愛したのが劇作家の寺山修司である。
寺山が主宰した劇団「天井棧敷」の立ち上げメンバーで演出家、現在は前橋文学館特別館長も務める萩原朔美氏が言う。
「美輪さんが主演された『毛皮のマリー』で、私は息子役を務めました。実は美輪さんは、寺山さんがお書きになった台本のラストを書き換えています。もともとは複数の出演者で“人生はお祭りだ”と踊り出す場面でしたが、“この芝居は母と息子の物語です”と寺山さんを説得し、母が涙ながらに息子に化粧を施す場面へ変更されました。その方が観客の心を打つからです。現在も『毛皮のマリー』は、美輪さんが改編された版で上演されています」
寺山は美輪さんを表現者として認めたからこそ、台本への口出しを許したのだろう。そんな寺山も1983年に47歳で亡くなった。
「新潮QUE」にて公開中の関連記事【文豪、俳優、劇作家…妖しい輝きに魅了され「美輪明宏」を愛した「7人の男」たち】では、今回登場した三島、寺山も含め、美輪さんを愛した「7人の男」についてより詳しく報じている。


