「高市は戦争をしたがっている」と叫ぶ人が見落とす“盲点” 高市首相の批判者が「オオカミ少年」になってしまう根本的な理由

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オオカミ少年誕生のメカニズム

 例えば、高市政権に日中外交の不手際を始め危ういところがあるのは事実だが、「戦争をしたがっている」「日本人を死に至らしめようとしている」などと言い出すと、多くの人は付いていけない。「反戦デモ」に疑問を覚える人たちがいるのは、それが「高市は戦争をしたがっている」という思いからの「高市退陣要求」と混然一体となっているからだ。

 現状を考えれば、日本が自ら戦争を起こすよりも、他国が起こす戦争の影響を受ける可能性の方が格段に高い。となれば、「戦争やめろ」と言うなら相手が違うだろうということになる。

 さらに言えば、実態からかけ離れた過剰な物言いを続けていると「オオカミ少年」になりかねない。つまり、本当に「過剰な言葉で批判すべき時」が来ても、「また言っている」「大げさなんだよ」などと効果を持たなくなってしまう。

 現在、高市政権に対する一部批判の声は大きいのだが、支持率への影響はほとんどない。その理由の一つに、ほぼ同じ層の人たちが安倍政権に対しても同様の批判を行っていたことがあげられるかもしれない。安倍政権期に「民主主義が終わる」「戦争になる」「戦前回帰」などと言いすぎたことによって、高市政権に対する批判が「オオカミ少年」視されているのだ。

 オオカミ少年の寓話は「最後には本当のことを言ったのに誰も聞いてくれなかった」との教訓を残している。これまでにもデイリー新潮で書いてきたように、存立危機事態発言や自民党党大会での自衛官の歌唱問題などを見ても、安倍政権よりも危なっかしい高市政権への批判を真摯に受け止めてもらうためには、対象が危険だからこそ冷静な筆致が必要になる。

 こうした問題点をなるべくクリアできるよう意識することによって、「ちゃんとした批判」として成り立つ道が近づいてくると言える。

 つまり事実関係や時系列を把握し、問題の発端や核心がどこにあるのかを摘出する。別の角度から見ても、あるいは自分とは対立関係にある立場の視点から見ても成り立つ論理かどうかを確認する。そして「悪なのだからどれだけの悪罵(あくば)を以て批判をしても問題はない」という発想を捨てる必要があるのではないだろうか。

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「新潮QUE」にて公開中の関連記事【高市早苗批判者が「オオカミ少年」になってしまう根本的な理由】では、「ちゃんとした批判」のためのお作法を、「巨人・阿部前監督の辞任」や「辺野古沖抗議船転覆事故」の例からさらに検討している。

梶原麻衣子(かじわら・まいこ) 
ライター・編集者。1980年埼玉県生まれ。中央大学文学部史学科東洋史学専攻卒業。IT企業勤務後、出版社に入社し、月刊『WiLL』、月刊『Hanada』編集部を経てフリー。インタビュー記事などの取材・執筆のほか、書籍の企画・編集・構成などを手掛ける。

デイリー新潮編集部

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