“エリートボクサーではなかった”ガッツ石松さんがのし上がった理由 「あきらめず、粘り強く…」

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3億円の借金

 96年の衆院選に自民党公認で東京の小選挙区から立候補。3位で落選、選挙運動で約3億円の借金を負う。返済のため、どんな小さな仕事も引き受け始めた。

「失敗は自分の責任で後始末が大切と割り切り、苦労する姿を見せなかった」(石川さん)

 2004年、ガッツさんのとぼけた言葉の数々を集めた本がベストセラーに。借金返済には寄与する一方、本当にバカなのとからかわれたが気にしなかった。笑われることで万事丸く収まればよし。いわば遊んでいる心境だったようだ。

「そんな内面を理解する番組共演者やディレクターは、無礼に突っ込みを入れる若いタレントにヒヤヒヤしていたはずです」(同)

 借入金は約10年で完済。請われればボクシングについて考えを述べ、その鋭い視点はバラエティーで見せる姿とは全く違った。10年には「プロボクシング世界チャンピオン会」を発足させ、初代会長を務めた。

「親分肌のガッツさんならと国内の世界王者が参集。チャリティーの先頭に立ち被災地の復興支援を地道に続けた」(前田さん)

 年上の糟糠の妻との間に1女2男を授かる。まさに大黒柱のような父だった。

 6月2日、肺炎のため76歳で逝去。前田さんは言う。

「近年、テレビ出演は減りましたが、借金を返したので、もういいかなと話していました。“粗にして野だが卑ではない”が座右の銘。たとえ言動は粗野でもひきょうなことはしない、この言葉通りの誠実な生涯でした」

週刊新潮 2026年6月25日号掲載

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