大谷翔平を封じた男がDeNAへ 長嶋、江川、松井を苦しめた“キラー”たちの記憶
江川キラー
大学時代から“江川卓キラー”と呼ばれた選手がいる。中日・豊田誠佑である。
明治大3年だった1977年春、法政大1回戦に2番レフトで出場した豊田は、1学年上の江川から二塁打2本を含む4打数4安打を記録した。
1勝1敗で迎えた3回戦でも二塁打を含む4打数3安打と打ちまくり、江川を「どこへ投げても打たれました」と脱帽させた。明大3年春だけで江川から8打数7安打。“江川キラー”の異名は、この活躍によって決定的になった。
“昭和の怪物”から大学通算14打数8安打を記録した豊田は、中日入団後もキラーぶりを見せる。1981年6月2日の巨人戦では、チームが3安打に抑えられる中、豊田だけが二塁打2本を放った。
真骨頂とも言うべき一打が飛び出したのは、1982年9月28日の巨人戦だった。
8回を終わって2対6。近藤貞雄監督も「勝利の可能性は1、2パーセント」とあきらめかけた9回裏、先頭の代打で登場した豊田は、開幕後11打数1安打に抑えられていた江川からシーズン2本目となる左前安打を放ち、反撃の狼煙を上げる。
直後、中日は無死満塁から大島康徳の犠飛、宇野勝、中尾孝義の連続タイムリーで一気に6対6に追いつく。延長10回には大島のタイムリーでサヨナラ勝ち。2位ながら優勝マジック「12」が点灯し、奇跡の逆転Vへ突き進んだ。
球史に残る大逆転劇のきっかけを作った豊田は「なぜ打てるのかわからない。いい投手だと思う。でも、なぜか僕はタイミングが合うんです。ただ、他の打者を見てると高めのボール球を振って追い込まれている」と語っている。
プロでの通算成績は46打数11安打、2本塁打、打率.239。数字だけを見れば、それほど一方的にカモにしたわけではない。それでも、江川キラーは今でも豊田の代名詞になっている。
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