「危険スイング」退場第1号が誕生 危険球、コリジョン、15秒ルール…新ルール適用“最初の男”たち

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 オイシックス(新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ)の上原裕樹が5月31日のファーム公式戦、DeNA戦で「危険スイング」により退場となった。8回の打席で、手から抜けたバットが自軍の一塁ベンチに飛び込んだためで、NPBの新ルール導入後、初の退場者となった。【久保田龍雄/ライター】

頭部をヘルメット越しに直撃

 今後、一軍公式戦でも退場者が出れば、同様に“第1号”として話題を集めることになるだろう。プロ野球では過去にも、さまざまな新ルールが導入され、適用第1号として球史に名を残した選手がいる。

 まずは危険球退場から振り返ってみよう。

 1982年7月30日、当時の福島慎太郎パ・リーグ会長代行の通達により、危険球とそれに対する報復を防止する目的で制定されたのが始まりだった。

 当初は打者の頭部に当たった場合でも、緩い変化球など危険ではないと判断された投球については、警告が発せられ、次にいずれかのチームの投手が頭部付近への投球を行った場合に退場になるというルールだった。

 同年8月6日の阪急対南海で、3回に阪急・藤城和明が藤原満の頭部付近に投げて警告が発せられたあと、その裏、南海・井上祐二がマルカーノの頭部にぶつけ、退場第1号となった。

 その後、8月11日には阪急・山口高志、1984年には西武・松沼雅之が5月11日の近鉄戦で、警告後に2つ目の頭部死球を与えて退場となった。一方で、「故意、偶然にかかわらず、投手に不利になる」という不満の声も出た。

 セ・リーグでも、1994年5月11日のヤクルト対巨人が“死球合戦”で大荒れになったことをきっかけに、緊急理事会を開き、「故意・過失を問わず頭部に死球を与えた投手は退場」とする新ルールが導入された。

 適用第1号は、中日・郭源治だった。5月20日の阪神戦、7回1死二塁でシュートがすっぽ抜け、打者・ディアーの頭部をヘルメット越しに直撃。怒ってマウンドに向かおうとするディアーを上本孝一球審が遮るようにして、郭に「退場!」を宣告した。

 導入から間もないタイミングで第1号となった郭は「当てるつもりで投げたんじゃない。ピッチャーは攻めなきゃいけないんだ。退場第1号になっても、これからも攻め方は変わらないよ」とグラブを2度、3度と太ももに叩きつけ、マウンドを降りている。

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