【豊臣兄弟!】NHK大河は明るくかわいく描きすぎ 史実の秀吉と秀長は信長より残酷だった

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他人の心配ばかりしていたら秀吉ではない

 日本史家の磯田道史氏が今年5月、読売新聞朝刊の「古今をちこち」という連載に、〈現代の歴史ドラマは豊臣秀吉を明るく可愛く描きすぎだと感じる〉と書いていて、「ほんとうにそうだ!」と思わず膝を打った。そこには続けてこう書かれていた。〈秀吉は稀代の政治家だ。戦国時代でもある。徹頭徹尾、自分のために生きており、ご多分に漏れず、陰湿なやり口もある〉。

 実際、今年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも、秀吉は「自分のために生きて」いるようには見えず、他人の心配ばかりしている。その時点でもう秀吉ではないし、他人への配慮を重ねていたら、百姓の家に生まれながら天下を獲るという離れ業をなすことなど、到底できなかっただろう。むろん弟の秀長も、そんな秀吉の命に従いながら支え、一緒に行動したのだから、相当な策略家だったはずだ。主人公だからといって、とことんヒューマニストとして描くのはいかがなものか。

 第22回「播磨大誤算」(6月7日放送)では、羽柴秀吉(池松壮亮)は、自分を頼ってきた尼子勝久(渡邉蒼)と山中幸盛(廣瀬友祐)に上月城(兵庫県佐用町)の守備をまかせながら、彼らを見殺しにしてしまった。織田信長(小栗旬)が援軍を送るのを断念したのが理由だが、秀吉はショックのあまり、一時的に一切の記憶を失ってしまった。

 そこには、人を負い込み、残虐な目に遭わせるのはいつも信長(と息子)で、そのために明るいヒューマニストの秀吉(と弟)は、いつも苦しめられたり、苦労を強いられたりしている、というパターンが見出せる。だが筆者は、歴史をこのように単純化しないほうがいいと考える。とりわけ、常に生きるか死ぬかの瀬戸際で判断を求められた戦国時代の歴史ほど、パターンに落とし込むのが不向きなものはない。

人命救助にこだわる秀吉と秀長の「?」

 第24回「軍師官兵衛!」(6月21日放送)にも、そういう場面が登場するようだ。天正7年(1579)11月、荒木村重(トータス松本)の有岡城(兵庫県伊丹市)が陥落する。そうなると、村重と共同戦線を張って別所長治(下川恭平)が籠城していた三木城(兵庫県三木市)も、落ちるのは時間の問題となった。

 各種の史料を見るかぎり、三木城に対して秀吉は手段を選ばなかった。むろん、秀長も秀吉に従い、一緒に攻撃していた。では、そんな三木城攻めが『豊臣兄弟!』でどのように描かれるか、最初に確認しておきたい。

 有岡城が陥落して秀吉は安堵するが、小一郎(仲野太賀、のちの秀長)は、有岡城に籠城していた多くの命を救えなかったことを悔いている。たしかに、有岡城に残された人質六百数十人は、残酷な方法で虐殺されたので、目にした人はかなりの衝撃を受けたと『信長公記』も記している。しかし、年明けの三木城攻めに当たっては、気持ちを切り替えないと味方に犠牲が出てしまう。

 それでも『豊臣兄弟!』の小一郎は、人命救助にこだわり続ける。対して信長の嫡男の信忠(小関裕太)は、播磨(兵庫県南西部)の者たちが二度と歯向かわないように、見せしめとして三木城に籠る人たちを皆殺しにするように主張する。これに小一郎は猛然と反論するが、信忠は聞き入れない。

 最後は、黒田官兵衛(倉悠貴)が仲介して信忠を説得。その結果、秀吉が別所長治に降伏を促し、長治の命と引き換えに城兵は救われて、めでたし、めでたし、となるようだ。しかし、伝えられている三木城攻めは、そんな生易しいものではなかった。

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