【風、薫る】見習生を終えていきなり「看護婦長」に抜擢 見上愛「一ノ瀬りん」を退職に追い込む「東大教授」たちのプライド
看護婦見習生の評価は高まったが
一ノ瀬りん(見上愛)や大家直美(上坂樹里)らの看護婦見習実習も、ようやく修了を迎えた。当初は見習生につらく当たるばかりだった帝都医大病院の医師たちも、1年の見習期間のあいだに、次第に彼女たちを高く評価するようになった。NHK連続テレビ小説『風、薫る』の第12週「旅立ち」(6月15日~19日放送)。
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なにしろ見習生を迎えるまで、病院にいたのは「看護婦」でなく、医療や衛生に関する知識がほとんどない「看病婦」ばかりだった。遊廓で女郎らの監督や指導を担当する遣り手の出身者も多く、当然ながら専門的な訓練を受けたことがない看病婦たちは、医者の指示で下働きをするにすぎなかった。だから、最初は実習生たちを煙たがったが、実習生たちの知識と専門性を次第に評価せざるを得なくなった。
ただ、帝都医科大学附属病院としても、だったら自前で看護婦を養成したほうがいい、ということになり、今後は梅岡女学校附属看護婦養成所から実習生を受け入れないことに決定。看護婦養成所はやむなく閉鎖されることになり、りんは最初で最後の卒業生になった。
また、養成所の教師バーンズ(エマ・ハワード)は帰国することになったが、その前に、見習生たちが卒業後も帝都医大附属病院に看護婦として勤務できるように、各方面に頭を下げ、話をつけてくれていた。
なんだかんだいって、ここまでは紆余曲折もありながらも、りんや直美が看護婦としてキャリアを積むうえで、順調に進んでいるように見える。だが、この先は順調なことばかりではない。なぜなら、一ノ瀬りんのモデルの大関和や大家直美のモデルの鈴木雅は、挫折や屈辱を味わい、就職先に長く務めることができなかったからである。
見習生がいきなり「看護婦長」に抜擢
帝都医科大学附属病院のモデルになったのは、帝国大学医科大学附属第一医院(以下、第一医院)で、いうまでもなく、東京大学医学部附属病院の前身である。史実においても、女子学院の前身にあたる櫻井女学校に付属する看護婦養成所の第1期生だった大関和や鈴木雅ら6人は、明治21年(1888)10月から1年間、第一医院で見習生として実習した。
そして実習が終わる前に、櫻井女学校の事実上の経営者だったマリア・T・ツルーは、第一医院から雅と桜川里以を内科の看病婦取締として、和を外科の看病婦取締として採用したいという旨を打診されることになった。
実際、第一医院では病院の上層部を含め、和や雅らの働きぶりに接して、近代医療の現場には、医学や看護の知識を身につけたトレインド・ナースの存在が欠かせない、という認識を深めていたのだ。なかでも和の評価は高かったという。それにしても、いきなり「看病婦取締」をまかされた3人は、驚くとともに緊張したのではないだろうか。
「看病婦取締」とは、大勢の看病婦らを監督し、指導する立場で、いまでいえば看護婦長に当たる。要するに、1年間の見習が終わった途端に、経験もないまま責任者を務めさせられることになったのである。
ちなみに、6人の見習生のうち3人は、看護婦への道を進まなかった。櫻井女学校の初代校長である矢島楫子は、廃娼運動などに熱心に取り組んだ婦人矯風会の初代会長でもあり、その影響を受けた3人は、矯風会の仕事を手伝うという道を選んだ。とりわけ廃娼運動に力を入れる、という希望だったという。
『風、薫る』では第11週「凪にそよぐ」(6月8日~12日放送)まで、客と心中しかけて第一医院に運ばれた、夕凪(村上穂乃佳)という女郎をめぐる話が長く描かれた。見習生たちが廃娼運動に熱心だった、という史実を受けての展開だったと思われる。
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