「危険スイング」新ルール導入で注目 プロ野球で実際にあった“恐怖の飛ぶバット”
キュンキュンと回転しながらマウンド目がけて
マウンドに飛んでいった“恐怖のバット”が同点劇をもたらしたのが、1982年7月25日のオールスター第2戦である。
全セが5対4とリードした7回、4番手としてマウンドに上がった斉藤明夫(大洋)は石毛宏典(西武)、栗橋茂(近鉄)を打ち取ったあと、落合博満(ロッテ)、柏原純一(日本ハム)に連打され、2死一、三塁のピンチを招いた。
だが、同年に当時日本記録だった8連続セーブとシーズン30セーブを達成するなど、ロングリリーフもこなせる球界きっての守護神にとって、この程度のピンチはお手のものだった。
斉藤は落ち着いて次打者・平野光泰(近鉄)を外角低めのカーブでボテボテの投ゴロに打ち取り、スリーアウトチェンジと思われた。
ところが、打球を処理しようと前進した斉藤は、直後、思いもよらぬアクシデントに見舞われる。平野の手を離れたバットが、まるでヘリコプターの回転翼のようにキュンキュンと回転しながら、マウンド目がけて飛んできたのだ。
実は、2日前の7月23日、日本でも人気を博した米国のテレビドラマ「コンバット」でサンダース軍曹役を演じた俳優、ヴィック・モローが、映画の撮影中に落下してきたヘリコプターに巻き込まれ、不慮の事故死を遂げたばかりだった。
そんな記憶もまだ新しいときに、バットが回転しながら目前に迫ってくるのを見た斉藤は「僕の好きなヴィック・モローが、あれで死んだばかりで一瞬焦った」と恐怖を覚え、捕球どころではなくなってしまった。
捕手の中尾孝義(中日)がバックアップに走り、打球に追いついたときには、平野はすでに一塁を駆け抜けたあと。三塁走者の落合も生還し、5対5の同点に追いついた。まさに“ヘリコプターバット”が生んだ珍同点劇だった。
これに対し、全セの藤田元司監督(巨人)は当然のように「守備妨害ではないか?」と激しく抗議したが、平光清球審は「飛んだバットが投手のみの守備範囲なら妨害を取るが、あの場合、捕手、三塁手も範囲内だからね」と取り合わなかった。記録も投前ではなく、捕前内野安打になった。
バット禍のとばっちりで、オールスター初セーブが幻と消えた斉藤は、試合が延長戦にもつれ込んだことから、規定の3イニングを超えて11回まで5イニングを投げる羽目になった。結局、試合は5対5の引き分けでゲームセット。まさに骨折り損のくたびれもうけとなった。
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